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March 25, 2004

『青空感傷ツアー』柴崎友香

[ book , sports ]

「よっちゃん」という名前を聞いても、「永井くん」という名前を聞いても、「わたし」は音生の発するこれらの言葉=音声と、彼らの顔=映像をすぐには重ね合わせることができない。「ああ、千秋か。」「永井くんて永井くんか。」友達である「よっちゃん」や、昔あんなに好きだった「永井くん」を思い出せない「わたし」と、当たり前のように名前をよぶ音生。「わたし」は音生のスピードについていくことが出来ない。音生の言葉を意味として受け取るまでに、少しだけ考え込まなくてはいけない。「永井くん」が永井くんであることを確認する。それだけのことが、同じように何度も続いていく。
新幹線の窓から見える景色が少しずつ光を失っていくと、「わたし」は何も見えないことに興味を失い目を逸らす。永井くんに案内された場所から眺める景色は、同じようにほとんど何も見えない暗闇だけれど、少しずつ目をこらすとそこには小さな光が見え始める。それは背景としては最高でも、「わたし」と永井くんの間に何かを起こすことはできない。暗闇は永井くんのきれいな顔を隠してしまい、「わたし」の気持ちはどうしても盛り上がらない。小さな光がすべて消えてしまうことはないけれど、「わたし」はもっと明るい場所を、永井くんや音生の顔がきちんと見られるような光の差す場所を求めてしまう。暗闇の中で思い出話をするよりも、きれいなものを見つめていることの方が、「わたし」には大切なのだ。トルコから四国へ、四国から石垣島へ、曇り空より青空を、暗闇よりも明るい場所を求めて、ふたりは再びツアーを開始する。
人の中身なんて簡単にわかるわけないのだから、人を顔で判断するのだって悪くない、と「わたし」は主張する。この主張は永井くんの叔母と音生によって見事に打ち負かされてしまうけれど、それでも「わたし」はやはり顔のきれいな音生をみつめてしまう。「わたし」はずっと「音生」を後ろから追いかけ続ける。そのきれいな顔をちゃんと見ることができる距離を保ったままで。それでも、ふたりのスピードはいつのまにか近づいていく。真っ青な海に浮かんだ小さなボートは、スピードを失ったままゆっくりと漂い続ける。

月永理絵