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April 3, 2004

「ラブリー・リタ」ジェシカ・ハウスナー

[ cinema , sports ]

「また不機嫌な顔をしてるのか。」
父親の言葉通り、リタは何度も不機嫌そうな顔を画面に向ける。しかしそれは繰り返しではない。
「またって?」
彼女は父親の言葉の意味が理解できない。自分の顔はその度毎にまるで違う表情をつくっているはずなのに。一度だって同じ顔をしたことはないのに。同じことの繰り返し。学校をサボること。バスの運転手に会うこと。トイレの蓋を閉め忘れること。台詞を反芻すること。毎回同じ席に座り自分を見つめる少女がいることを、運転手はミラー越しに知る。同じことが繰り返されるために、彼は彼女の存在を知りデートに誘うことになる。けれど、昨日彼に会ったことと今日彼に会うことの間には、本当は何の繋がりもない。ブルーのアイシャドウを塗りたくるように、彼女は一回の逢瀬ごとに着実に変化している。演劇はリハーサル通りには進まない。彼女の台詞は簡単に誰かに取って代わられる。
 学校をサボった娘を、隣家の少年とセックスしようとした娘を、両親は部屋の中に閉じこめる。怒鳴りつけるでもなく、暴力を振るうでもなく、真っ暗な部屋の中に閉じこめるのだ。食事を運びにこやかな顔でおやすみを言う。一晩経てばまたいつものように家族の団らんが訪れ、娘を学校へと送り出す。それが彼らの作ったシステムなのだろうか。娘の姿を隠してしまうこと。隣家の少年が、彼の母親によってリタの前から隠されてしまうように、一時的にその存在を消すことで、彼女の犯した罪は消え去るのだろうか。
 叱責から和解へ。パターン化されたシステムは突然壊される。射撃場を運営する父親のせいで、彼女の家にはいつも銃声が響き渡っている。耳を覆いたくなるほどの大きな音にも、繰り返されることでいつのまにか慣れ親しんでしまう。リタの放つ銃弾によって、初めてその一発の音の重みに気づくことになる。それは心地よいバックミュージックではなく、本物の銃声なのだ。銃声の後、両親は画面から姿を消す。彼らが本当に死んでしまったのか確かめることもできないまま、部屋に閉じこめられたときのようにリタはひとりで夕飯を食べる。本当に消えてしまったのは誰なのか。
「何度言ったらわかるんだ?」
トイレの蓋は相変わらず開いたままだ。何度となく繰り返される言葉は、リタの前を素通りする。日常はけっして繰り返されない。

月永理絵