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August 1, 2004

アジアカップ 日本対ヨルダン

[ cinema , sports ]

ベスト4が一応のノルマとされていたアジアカップ。ベスト8からベスト4への道が準々決勝と呼ばれる対戦であり、カップ戦の場合、この準々決勝が一番面白いと言われている。ここまでのゲームはリーグ戦であり、リーグ戦であるからには、引き分けても良いし、負けもまた場合によっては許容されることさえある。だが、準々決勝からは、引き分けは存在せず──つまりPK戦──、負けはそのチームにピリオドが打たれることを意味する。つまり、単に勝たねば、どんな手段でも勝たねばならない。
そしてA代表は1-1(PK4-3)でヨルダンを勝ち(公式記録は引き分けだろうが)、準決勝に進んだ。そのPK戦でひとりめの俊輔とふたりめのアレックスが相次いでゴールマウスの遙か上にボールを蹴ってしまったときは、誰でもため息をついたろうし、日本のアジアカップも(そしておそらくジーコの監督の座も)この夜が最後になったと考えたろう。私もそのひとりだ。だが、川口の落ち着きと集中力、そして、ヨルダンの選手たちの修羅場体験の少なさによって、日本は勝ちを拾い、ジーコもその神話力をキープした。「最後まで信じること」という言葉をジーコはインタヴューで何度口にしたろうか。鈴木のオフサイド気味のシュートがゴールマウスに突き刺さり、前半で同点になったまま、後半も延長もゲームは膠着状態のまま推移し、ジーコが送り出した本山も中田浩二も局面を打開することはできなかった。つまり、ジーコは、今夜もまた何もできなかった。「最後まで信じること」しかできなかったのだろう。
事実、予選リーグの3ゲームは、何もしなくても負けはしなかった。相手が弱かった。アリ・ダエイもマハタビキヤも、すでに昔の名前になっていたし、日本の選手たちは個人技で上回ることができた。だから、薄氷の勝利ではなく、堂々と勝ち、堂々と引き分けていた。ディフェンディング・チャンピオンの風格さえ感じた。だが、W杯アジア予選でイランをテヘランで1-0でやぶっているヨルダンは相当に強い。鈴木、俊輔、玉田、アレックスの惜しいシュートはあったけれども、ポゼッションを中心に攻めるフットボールはまったくできなかった。3-5-2の両サイド(特にアレックスの側)を次々に破られて、3バックが右往左往する展開は延長まで続いていた。左右に起点を作り、そこからディアゴナルに攻め上がってくるヨルダンにまったく対応できない120分だった。その責任はジーコにある。確かに猛暑の中の中二日は疲れるだろう。選手たちは、後半の20分を過ぎると一気に運動量が落ちていった。中盤がポッカリ空く。ヨルダンの選手たちはそこをディアゴナルに突破し、一気にペナルティエリアに迫る。
まずフォーメーションに手を付けるべきだった。結論から言えば、3-5-2を4-3-1-2に変更し、3人のボランチで中盤を埋めれば、これほどポゼッションが下がることはなかったろう。落ち着いて慌てずにポゼッションしながら攻めるなら、広大な中盤をボランチのふたりが埋めねばならぬ今日のようなゲームになったとき、フラットな4人のディフェンスラインと厚い中盤こそ必要なものだ。そして左サイドには経験豊かな三浦淳宏を入れるべきだ。前半を0-0で折り返すことができれば、後半の後半まで勝負がもつれれば、ボランチを一枚にして、右に藤田を入れ、左にアレックスを投入し、中盤をダイアモンドにした4-4-2にすればいいだろう。
ジーコは頑固でうまく行くと選手を代えず、フォーメーションに拘りすぎるきらいがある。しなやかさが欲しい。PK戦の緊張感はテレビ番組としては面白いが、フットボールではないだろう。

梅本洋一