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March 14, 2005

F1開幕戦オーストラリアGP
黒岩幹子

[ cinema , sports ]

土曜日の時点でほぼ結果は見えていた。それほど土曜の予選1回目における天候の変化は決定的だった。2005年のF1開幕戦は、上位チームのなかで唯一、ほぼ路面が乾いた状態で予選1回目を走った、ルノーのフィジケラが順当にポールポジションをゲット、そのまま決勝も逃げ切った。
予選を土日の2日に分けて実施、さらには2回の予選タイムの合算によってスターティング・グリッドを決定するという新ルールが、開幕戦から大きな影響を及ぼした(去年は予選2回とも土曜に実施、1回目は2回目の出走順を決めるためだけのものだった)。いや、偶発的な外因によってレースがいとも簡単にひっくり返ることが明らかになったと言ったほうがいいだろうか。しかし、私たちがF1に求めるものは運によってレースが動くことではない、そんな声も聞こえてきそうだ。確かに、土曜にフィジケラがコントロールラインをトップタイムで通り抜けた途端、大粒の雨が降りだしたとき、2年前のブラジルGPが思い出された。あの時も、大雨により規定周回の途中でレースが打ち切られ、たまたまピットストップを先延ばしにしていたフィジケラが初優勝を飾ったのだった、と。当時、フィジケラは弱小チームのジョーダンで苦汁を舐めていた。前回の優勝との大きな違い。それは運だけで勝ったのではなく、勝てるマシンで勝ったということだ。
「モータースポーツの世界では、選手の活躍はクルマという道具、それを動かすチームの力に大きく左右される」。雑誌「Number」の最新号で今宮雅子がそう書いていた。F1は選手ではなく、まずチーム(のマシンと戦略)を見るスポーツだ。いくら才能のあるドライバーでも速いマシンを持つチームに属さない限り、チャンピオンにはなれない。が、だからこそ、ジョーダンやミナルディのような下位チームで入賞すれば、そのドライバー(ルーキー)は評価される。たとえば今年ウィリアムズに入ったウェーバー、そしてフィジケラもそんなドライバーのひとりだ。
96年にミナルディからデビューしたフィジケラは、ジョーダン→ベネトン(現ルノー)→ジョーダン→ザウバーと、チームを渡り歩いてきた。ウェーバーとの大きな違いは、その才能を買われながらも、次第に強いチームへとステップアップしてきたわけではないこと。初優勝までの道のりも、F1史上、現フェラーリのバリチェロに次いで長かった(ちなみにふたりは同い年)。才能を評価されながらも、それに比例したステップアップが望めなかったのは、おそらく彼がただ速いドライバーではないからだ。安定した走りで完走し、ステアリングさばきなどの技術で魅せるフィジケラは、その速さが群を抜いているわけではなかった。だが彼が10年もF1で走り続けてきたのは運がいいからでも、金持ちだからでもなく、F1というレースに適したドライバーだからだろう。
今年ルノーに移籍したフィジケラは、「こんなに速く、運転しやすいクルマに乗ったことがない」と言うほどのマシン、R25に出会った。R25の速さは開幕前から大きな話題となっていたが、ルノーのマシンはもともとエンジン・パワーによって速いわけではない。直線よりもコーナーでその速さを発揮し、タイヤに優しいマシンとして知られている。R25もサイドポットにたくさんのスリットが入っていたりと、空力をさらに強化、安定させたマシンに見える。F1で競り勝てるマシン、フィジケラがそんなルノーのマシンを手にしたことは大きい。R25はたぶんエース・ドライバーのアロンソに合わせてつくられたはずだから、ルノーはマシンだけでなく、そのマシンに合ったこれ以上ないドライバーを揃えたことになる。
次は今週末のマレーシア、1-3位で完走したルノーの2台は、オーストラリアで使用したエンジンで臨むことになる。マレーシアの結果次第では、ルノーがフェラーリを王座から引きずり降ろす可能性も出てくるだろう。