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March 15, 2005

『ビヨンドtheシー〜夢見るように歌えば〜』ケヴィン・スペイシー
月永理絵

[ cinema ]

作曲家コール・ポーターの生涯を描いた『五線譜のラブレター』を見た後はコール・ポーターの歌を聞きたくなったが、同じく伝記的な映画である『ビヨンドtheシー』を見ると、ボビー・ダーリンの歌ではなく人生について知りたくなった。ではそれほどこの映画が魅力的だったかと聞かれると答えに困る。私がボビー・ダーリンの人生に興味を持ったのは、この映画が興味を惹くものを提示してくれたというよりも、ここで示されていたものがあまりに中途半端だったからなのだ。そしてボビー・ダーリンという人自体が、中途半端な時代を生きた歌手だったと言える。
フランク・シナトラを超える歌手になる、という夢を抱えた青年が目指すのが、ニューヨークの最高級クラブ、コパカバーナでの公演だが、彼がデビューするのは若い女の子たちに囲まれ登場する派手なテレビ番組の中だ。彼がヒット曲「mack the knife」を発表したのは1959年。60年代、ビートルズの出現の際、〈アメリカ人は、もう数多くのボビー(Bobby)の平凡な歌に飽き飽きしたのだ〉というような言い方があったようだが、おそらくボビー・ダーリンもそのひとりだろう。だから、60年代の彼の音楽的キャリアは「beyond the sea」のようなスタンダードナンバーだけではなく、ロックからフォークソング、R&Bにいたるまでおそろしく多岐に渡っている。映画の中ではケヴィン・スペイシーが「スタンダードだってまともに歌える」と主張していたが、〈スウィングを取り入れたスタンダードナンバー〉など、そうしたどこか中途半端なうたい文句が彼の音楽の代名詞ともなっているのも、時代遅れな男でもある彼のキャリアを象徴している。
『五線譜のラブレター』と『ビヨンドtheシー』の一番の差異は、そこで描かれている人生が作曲家と歌手という違いだ。舞台の上で何を見せるかあるいは何を見せないかによって、歌手であるボビー・ダーリンの人生は描かれる。コール・ポーターの人生は自分の作曲した歌によって形作られていく。しかし、ボビー・ダーリンもまた作曲家だ。その事実は本名であるウォールデン・ロバート・カソットと芸名のボビー・ダーリンという人物を実際にふたりにわけることで示されている。たとえば母親の葬式に残るか舞台に立つために去るか、かつらをかぶるか否かというような、生活におけるなんらかの選択によって差異が作られる。しかし、もしふたりの男がいるとすれば、私生活か舞台の上かという違いではなく、単に作曲家であるか歌手であるかの違いであるはずだと思う。
ケヴィン・スペイシーの興味は明らかに歌手としての、エンターテイナーとしてのボビー・ダーリンにあり、だからこそ自分が吹き替えではなく本当に歌うということが強調されている。だがそれには彼はやはり老けすぎている。119分という上映時間はとても長く感じたが、歌手としてのボビー・ダーリンと作曲家としての彼の仕事を両方見ようとすれば、映画はさらに長尺化していただろう。そしてもしそんな映画になっていたなら、20代から37歳までのボビー・ダーリンを演じた47歳のケヴィン・スペイシーが、「この役を演じるには老けすぎている」と自嘲的に呟かずに済んだのかもしれない。

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