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June 2, 2005

『さよなら、さよならハリウッド』ウディ・アレン
黒岩幹子

[ cinema , cinema ]

 原題は「Hollywood Ending」。ゆえにオープニングはジョニー・マーサ/リチャード・ホワイティングの「Hooray for Hollywood(ハリウッド万歳)」で幕開け。そういえば、大阪はUSJにある、あのユニヴァーサルの地球儀モニュメントの周りでもこの曲がかかっているらしい。でも、この映画の頭に出てくるのはユニヴァーサルの地球儀ではなく、「ドリームワークス」の文字。あのドリームワークスの製作ということだ。
 ウディ・アレンが、ドリームワークス製作で、「Hollywood Ending」なるタイトルの映画を撮る。こんな情報を聞いただけで、「なるほどね」と鼻で笑ってしまいたくなるところだが、振り返ればウディ・アレンとドリームワークスの関係は今に始まったことではない。確かその前々作の『おいしい生活』から全米配給をドリームワークスがやるようになったように記憶している(ただドリームワークス単独での製作ということでいえば、この作品からのようだ)。
もちろん、製作会社やプロデューサーが変わることで、ウディ・アレンの映画が大きく変わるということはない。やっぱりウディ・アレンの映画は何よりも「ウディ・アレンの映画」になる。が、一方で、それがドリームワークスによるバックアップと関係するのかどうかは定かではないが、『おいしい生活』あたりからの彼の映画には、これまでになかった軽快さというか、何かつきぬけた明るさがあるような気がする。
 この映画の一番のポイントは、例によってウディ・アレン自身が演じる主人公の映画監督が、撮影を前にして目が見えなくなってしまうというところにあるのだろう。が、それ以上に、その撮影がかつての名作、しかもギャング映画のリメイクであること、その撮影がニューヨークで行われ、製作会社はハリウッドにあることが重要である。ニューヨークとはいえ、ウディ・アレンの映画にかかせないはずのニューヨークの風景はほとんど出てこず、映画内映画の撮影は薄暗いスタジオのなかで行われる。そしてその様子を見にやって来るプロデューサーたちが降り立つ飛行場はつねに曇り空におおわれている。
 そう、私たちが思い浮かべるウディ・アレンのニューヨークは、常にほの暗いものだった。しかし、その曇ったニューヨークの風景はなかなか姿を現さず、ようやくかつて『マンハッタン』にあった風景と酷似した風景が出てくるとき、その風景はあのしっとりとした霧につつまれたモノクロとは間逆のからっと乾いた明るい光につつまれている。そしてウディ・アレンは叫ぶ、「目が見える!」。その後、人を喰ったようなオチを挟み、ウディ・アレンがニューヨークを旅立つとき、街には花が咲き乱れ、春の光がさんさんと輝くだろう。それが「エンディング」。それが、ハリウッドとは反対のアメリカの端で映画を撮り続けてきたウディ・アレンが描く「ハリウッドの結末」である。ウディ・アレンはその「結末」を軽やかに生き続けている。

恵比寿ガーデンシネマにて公開中