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June 17, 2005

『髭を剃る男』エマニュエル・カレール
須藤健太郎

[ cinema , photo, theater, etc... ]

 長年口髭をたくわえていたマルク(ヴァンサン・ランドン)はある日口髭を剃ることを思いつく。しかし、妻のアニエス(エマニュエル・ドゥヴォス)をはじめ昔から親しくしている友人たち、職場の同僚など誰ひとりとしてそのことに気が付いてくれない。すねるマルク。次第に彼は、自分の記憶と他人の記憶とにずれがあることに気づきはじめ、実存的な不安に駆られるようになる。「ほかの人々を通じてこそ、ぼくは自分のことが話せるんだ」とたしかジャン・ルノワールは言ったが、本作においてマルクが直面するのは、ほかの人々を通じて、自分のことが話せなくなる状態である。いたたまれなくなった彼はパリを離れ、思い切って台湾へと旅立っていく。そこなら誰も自分のことを知らないし、記憶が共有されていないことに悩むこともない。従って、パリというヨーロッパの都市を舞台にした前半と、台湾というアジアの亜熱帯の島を舞台にした後半とに本作は二分されることになる。
 顔、顔、顔。「口髭」(原題は「口髭」という素っ気なくも単純なタイトルだ)が物語を駆動させる装置となっている以上、ヴァンサン・ランドンの顔ばかりが映されるのは当然だが、そのことよりも彼の妻役で出演していたエマニュエル・ドゥヴォスのことについて書こう。本作を見て思ったのは、やっぱり彼女の最大の魅力とは、何にも考えていないように見えるところにあるのではないか、ということだった。エマニュエル・ドゥヴォスが不思議なのは、画面に現れると類まれな存在感を発揮しているにもかかわらず、どこか浮ついた、その場に定着していないかのような印象を与えることだ。たとえばアルノー・デプレシャンの『エスター・カーン』のイタリア女。突如現れて、すべての人の目を引き付けるのに、彼女がその場にいるということに拭い去ることのできない違和感を覚えるのだ。続く『キングス・アンド・クイーン』では、主人公ノラを演じていたが、どっしりとはしていても、どこにも定着しそうにないという意味での浮遊感は、彼女にははまり役だったかもしれない。
 エマニュエル・ドゥヴォスにイポリット・ジラルド、マチュー・アマルリックとデプレシャンの『キングス・アンド・クイーン』を思わせる配役だった。監督のエマニュエル・カレールはベストセラー作家らしく、本作が初監督作品だという。

「第13回フランス映画祭横浜2005」
6月15日〜6月19日
パシフィコ横浜会議センター メインホールほかにて開催