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August 31, 2005

『奥様は魔女』ノーラ・エフロン
梅本洋一

[ cinema ]

 テレビ・シリーズの『奥様は魔女』は僕らの世代にとって忘れがたい。『ルーシー・ショー』や『陽気なスマート』などと並んで、笑い声が組み込まれたコメディとして本当に懐かしい。ぼくらは皆、魔女のサマンサがやる唇を左右にふるわせて魔法を使う身振りを真似していた。
 このフィルムは、『めぐり逢えたら』でマッケリーの『めぐり逢い』を、『ユーブガッタメール』でルビッチの『桃色の店』のリメイクしたエフロンの「リメイクもの」。落ちぶれた映画スター(ウィル・フェレル)がテレビのラブコメで人気回復作戦。その内容が『奥様は魔女』。そして魔女のサマンサ役になったのが本物の魔女のイザベル・ビグロー(ニコル・キッドマン)というのがネタ。脇をシャーリー・マクレーンやマイケル・ケインが固めている。音楽は、オリジナルもあるけれど、シナトラが唄う「Bewitched」(魔法にかかる、とか、魅了されるという意味──これがこのフィルムの原題)。
 もちろん『奥様は魔女』のリメイクなのだから、そのテレビドラマが基になってはいるが、普通の男と魔女という組み合わせは、むしろリチャード・クワインの『媚薬』ではないだろうか? 偶然、魔女(キム・ノヴァク)の住む家に下宿することになる新聞記者(ジミー・スチュワート)の話。だから、見ている最中、2本の映画に同じ台詞があるのを思い出したり、同じシチュエーションがあるのを思い出したが、残念ながら、このフィルムには、クワインの多くのフィルムに見られる「しとやかな魅力」gr_ceがない。それはエフロンの下世話な演出と脚本のせいでもあるけれども、それ以上に、主人公のふたりを演じる俳優に魅力がないせいだろう。下品でスターから転がり落ちるのも当然としか見えないウィル・フェレルは、本当はもう少し素敵な人であることを見せなければならない。ニコル・キッドマンの魔女は、無垢そのものの役なのだが、彼女が無垢を演じれば演じるほど、本当はぜんぜん無垢じゃないんだろうな、とぼくらに思わせてしまう。『白いカラス』のキッドマンの汚れ役は、かなり信憑性があったけれど、このフィルムの魔女はぜんぜん信憑性がない。だいだい魔女には信憑性などないのだが……。でも思い出してみれば、『媚薬』のキム・ノヴァクが、恋をして涙を流せば魔女でなくなるのを知りながら、自分の頬に涙が少し流れたのに気づくときの演出など信憑性そのものだったけれど。ニコル・キッドマンは下品なんだよね。とりあえずぼくはbewitchedされなかった。