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October 1, 2005

『黒い時計の旅』スティーヴ・エリクソン
月永理絵

[ book , book ]

blackclock.jpg 90年にベネッセ(福武書店)から刊行されたスティーヴ・エリクソンの『黒い時計の旅』が、今年8月に白水社から再刊された。エリクソンの小説を読むのはこれが初めてだ。冒頭には、ヒトラーとその姪であるゲリという少女との関係について書かれた簡潔な文章が付されている。この嘘か真実かわからない関係から、壮大な物語が始まる。
『黒い時計の旅』は、もうひとつの20世紀の物語である。第二次世界大戦でドイツが負けず、ヒトラーが死ななかった20世紀であり、もうひとつの世界、もうひとつの時間軸を持った20世紀である。語り手の男と同じように、読み進めるうち私は歴史の中心へと引きずり込まれていく。最初に抱くのは、果たしてこの物語の語り手は誰かという問題だ。一番初めの人物は、ダヴンホール島のチャイナタウンで生まれた、白髪の少年マークである。彼はあるとき島を出ていく決心をする。本土への船に乗り込んだ彼は、島にも本土にも上陸せず、その後15年間を船の上で過ごすことになる。本土の船着場も島も見えなくなる瞬間を、彼は生きている。彼は、現在地がどこでもなくなるその一瞬をくり返す。マークを生んだのは、島で唯一の白人の女である。マークが船を降り母のもとに戻ったとき、ひとりの男が彼女の足下に倒れているのを発見する。巨大な身体を持つ男は、自分が辿った人生を語り始める。
 ヒトラーのためにたったひとりの女(デリ)を描いたポルノ小説を書き続ける、それがバニング・ジェーンライトという男の生涯の仕事である。そして彼は、あまりに大きすぎる体を持って生まれた男である。自分の大きさを持て余し、周りの人々は彼の巨大さを恐れ、憎しみを抱く。それは、まるでこの小説のわけのわからない巨大さと同じである。この気味の悪い何かを恐れ、同時に得体のしれない何かに惹かれ、途中で本を投げ出すことができないまま終わる。
 バニング・ジェーンライトの20世紀から、さらにまた別の20世紀へと移る。デーニアという少女がデリという幻の女にとって変わり、もうひとりの大男が登場する。そこまでくると、小説はもはや私の手には負えない。自分の書いた小説が作者の手を離れていくように、あらゆるものが逃げ去っていってしまう。そもそも言葉という言葉がこの壮大な物語に追い付かないのだ。言葉と物語と、どちらが先か後かなど区別できるはずがないが、明らかに語ろうとする物語が巨大すぎる。もはや物語というものでさえないのかもしれない。ヒトラーの愛したゲリという少女、ジェーンライトの書く小説の中の女、男たちのために踊るデーニア、そしてすべての男たちがとり憑かれたひとりの女の亡霊のように、語ることも描くこともできない快楽がこの小説を支配している。そして気が付くと、私もまた何かにとり憑かれたように夢中でこの小説に貪りついていた。まるでヒトラーがジェーンライトの小説を読むときのように。
 島の墓地では、自分の名前を知らない死体は「自分が誰か」を語り出すまで永遠に木に吊るされる。名前を持たない無数の幽霊たち。それがこの物語の語り手なのかもしれない。