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February 9, 2007

『エレクション』ジョニー・トー
梅本洋一

[ cinema , music ]

 この人のフィルムの評価が異様に低いのはどうしてだろう。まだ封切られて3週間目だというのに、テアトル新宿は、昼間1回しか上映がなく、しかも明日(9日)まで。いわゆる「香港ノワール」ファンしかこのフィルムを見に来る人はいないのだろうか。確かに、終映後、テアトル新宿の地下から1階への階段を上がっていると、隣に老夫婦がいて、ダンナの方が、「何かなんだかぜんぜん分からなかった。こんな映画見せるんじゃない!」と奥さんに怒っていた。物語が分かりやすい映画に行くんだったら、『武士の一分』とかに行けばいいのに、と思った。14:10から1回しか上映がない作品に合わせて一日の行動を組み立てるわけだから、相当な覚悟が必要なのに、まるで通りすがりのお客さんのような感想を言っているお爺さんの言葉に驚いてしまった。
 でも、究極的にはとても簡単な物語なのだ。香港の裏社会の組長を決める選挙にふたり候補者がいて、選挙でひとりに決まったのだが、組長が持たねばならないお印みたいなものがなかなか手に入らず、その争奪戦になり……という話だ。きっとそうした物語の大筋はお爺さんにも分かっているのだと思う。お爺さんに分からないのは、その争奪戦の中で、たくさんの登場人物が出てくるが、誰がどちら側の人間かということだろう。夜間撮影で、やたら暗い上に、次々に人が出てきて、裏切ったり、寝返ったりするので、誰がどういう奴なのかは、分からない。ぼくだってぜんぜん分からなかった。けれども、お爺さんのように腹は立たなかった、それどころか、途中から、誰が誰だかどうでも良くなってきて、今、目の前に行われているアクションに目を奪われ、その連続的な「活劇」そのものの異様な運動感に底なしの暗さと爽快さを同時に感じていた。フィルム・ノワールを見ていて、誰が誰だか分からなくなることはよくあることで、ハワード・ホークスだって、自分で撮った『三つ数えろ』のストーリーがよく分からなかったと言っている。「けれども」とホークスは続けて、「良いシーンはたくさん入れた」と付け加えている。
 ヴェンダースの『アメリカの友人』を見たときもそうだった。サミュエル・フラーやダニエル・シュミットが出ていたのは、誰でも覚えているだろうが、彼らの役柄をしっかり言える人は少ないだろう。
 『三つ数えろ』や『アメリカの友人』に比べると『エレクション』は話が分かりやすい。でも、彼のように明瞭な「活劇」のスタイルを持っている映画作家は今、ほとんどいない。ぼくらにとっては、森一生監督、市川雷蔵主演の『ある殺し屋』シリーズが思い出される。あのフィルムでも、市川雷蔵がなぜ誰かを殺すのかはほとんど分からない。どのように殺すかが重要なのだ。そこまで考えてみると、ジョニー・トーのフィルムはやたら分かりやすいのではないか。今、このフィルムは堪能できるけれども、今挙げたフィルムの方が、『エレクション』よりも面白いのではないか、とも思え始めた。
 角度を変えて考えてみよう。『エレクション』は、それなりに面白いのだが、その面白さが古典的な面白さである限り、ぼくらはかつての同じジャンルのフィルムを思い出してしまう。すると、ジョニー・トーのこのフィルムよりも面白いフィルムがたくさんあったことを思い出してしまう。たとえば、黒沢清の『Loft』や『叫』について考えてみると、比較すべき過去のフィルムを見つけることができない。