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March 30, 2007

『ホリデイ』ナンシー・メイヤーズ
梅本洋一

[ cinema , sports ]

 レディーズ・デイで1000円で見られるためか、渋東シネタワーは9割方女性客で、しかもほぼ満員。松井宏が言う通り、ちょっと薹がたってはいるが、キャメロン・ディアズとケイト・ウィンスレットの「二大女優」とジュード・ローとジャック・ブラックの共演が多くの女性たちを誘っているのだろうし、「薹がたった」ふたりの女性(アマンダとアイリスというちょっと古風なファーストネイムだ)をうまくシナリオに盛り込んでいる。
 もちろん同名のジョージ・キューカーのフィルムが持つ魅力はない。誰もケイリー・グラントになれないし、キャサリン・ヘプバーンにもなれない。そしてナンシー・メイヤーズもキューカーになれないし、このフィルムは、1940年の『最後の休日』にはなれない。だが、なれなくてもいい。なれるはずのないものになる必要はない。それに映画の古典時代はずっと前に去ってしまった。このフィルムは、もちろんアマンダとグラハム(ジュード・ロー)、アイリスとマイルズ(ジャック・ブラック)が最後に結ばれてハッピーエンドで終わることなど最初から見えているのだが、そんなことよりも、もうクラシックにはなれない、でもクラシックの良さは絶対尊重しなければならない、そんなことを語っているようだ。
 同じ映画作家の前作『恋愛適齢期』でもあった通り、21世紀の男と女は、クラシックの時代の男と女よりももっと簡単に出会うことができ、もっと簡単にコミュニケーションすることができる。Eメールやネットの世界に住んでいて、皆、携帯を持っている。だから、外国に旅立つときに長い船旅をする必要もなく──つまり『めぐり逢い』はもう成立しない──、2日後にサンセット・ブールヴァードの大邸宅から、ロンドン郊外の古い家に赴くこともできる。Fedexを使えば、翌日に生原稿だってヨーロッパからアメリカの西海岸に届くのだ。ちょっと前なら航空便でも5日はかかったし、法外な値段の「国際電話」にビクビクしていたのに、今では空間や時間を人は簡単に越えて、誰かに出会うことができる。ぼくだってCS放送でロンドンやバルセロナで行われているフットボールのゲームをいつもライブで見ている。「三菱ダイアモンド・サッカー」の「後半は来週お送りしましょう」という金子アナの声と共に、半年も前のゲームに一喜一憂することはもうできない。新作のトレーラーを編集することで大金持ちになったアマンダ。彼女の編集するトレーラーは、クラシックの持つ遅さとまさに正反対の速度だけがある。
 でも「昔は良かった」のだ。ペレやベッケンバウアーの出ている「昔のゲーム」はやっぱり良かった。そう『青髭八人目の妻』も『ヒズ・ガール・フライデイ』も良かった。換言すれば、映画が昔持っていた優雅さはもう戻ってこない。このフィルムのアイリスは近所に住むかつてのシナリオライター、アーサーからそんなことを学ぶ。マイルズは、決して才能ある作曲家ではないが、DVDストアに入れば、どんな映画音楽だって口で演奏することができる。ナンシー・メイヤーズだって、大胆にも自分のフィルムを『ホリデイ』と名付けてしまったが、このフィルムが、ジョージ・キューカーの同名にフィルムにはるか及ばないことは分かっている。映画的な演出をクラシックから借りてきて、現代的に膨らませたところで、クラシックのどんなフィルムでもよいが、その脇に自分のフィルムを並べれば、絶対にクラシックの方がいいことなど分かっている。否、それが分かっていることをフィルムにしてみたらどうか、彼女はそう考えたのではないか。足の悪いアーサー(「ぼくは78年からずっと暇だよ!」)は、アイリスに歩行訓練を受け、シナリオライター協会の名誉賞受賞パーティーで壇上に上れるようになる。つまり、やはりクラシックはいい、ということだ。そのとき、会場で、アイリスとマイルズが愛を確認することになる。