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September 7, 2007

《再録》すでに語られることのない映画監督のために
渡辺進也

[ cinema ]

(2007年9月7日発行「nobody issue26」所収、p.36-41)

1.
ラストシーン.jpg 『サッド ヴァケイション』には何人もの男たちが、そして女たちが間宮運送というひとつの場所を交通点として行き来する。それぞれが他の人間にはわからない理由によって、最後に流れ落ちてくる場所のように、集まってくる。その場所でひとりひとりが自分の生活の場を確保し、与えられたわずかな場所でひっそりと生活する。
 間宮運送には何人もの男が流れてきている。小説『サッド・ヴァケイション』を読んだとき、一枚一枚ページをめくっていくなかで、そして何人もの男たちが登場してくるなかで、僕にはあるひとりの名前が目に入った。決して珍しい名前ではない。そして、彼は何か特別なことをするわけでもなく、そこにいた。僕はその人物を僕の知っているある人のように思えたのだ。僕は彼に会ったこともないし、彼の姿も見たことがない。ただ彼の映画を見ていただけだ。僕が映画を見始めたとき、すでに彼は映画をつくることをやめていた。彼の映画を後から発見し、その映画を追いかけ始めたときにはただその作品があるだけであった。彼が映画をつくらなくなった理由はいつしかただのいちファンの僕のもとにも風の噂で入ってくる。尾ひれがついてもう冗談としか思えないようになったその噂で僕は彼が映画をとることをやめて消息を絶っているということを聞いた。
 僕が『サッド ヴァケイション』に触れて、まず最初に思ったことは彼のことだった。何の変哲もない姓をもつその男が僕の知るあの映画監督のことではないかとふと思ったのだ。小説のなかでその男は特別何かをするわけでもないし、僕の知る男とつながることなどは何もない。僕が小説の中のその男を自分の知っている男と結びつけるのは、ただ酒を飲む席で話されるような単なる噂でしかなかった。きっとそれは僕の単なる思い込みだろう。『サッド ヴァケイション』は石田えり演じる母親が、男たちが必死になってつくりあげる物語を大したことがないというように呑み尽くす。すべては些細なことであるというように包み込んでしまう。また、『サッド ヴァケイション』はまるで石田えり演じる母親のように数多くの日本映画の記憶を含み、懐の深さを見せる。『八月の濡れた砂』(71) 、『陽炎座』(81) 、『博多っ子純情』(78)......。あるいは何でもありという懐の深さ。そんななかきっと僕の単なる妄想も、その懐の深さのなかで許されるだろう。いつか耳にしたそのうわさ話が小説の中の男と僕の知るその男を結びつける。僕にはその男があの監督のこととしか思えなくなっていた。
 ほんの細い糸のような根拠でしかなかったけれども、僕は彼が北九州で自分の身を隠すように生活しているかもしれないと思った。もしかしたら北九州に行けばその男に会えるかもしれない。もちろんそこにいるという根拠もなければ、まだ生きているという根拠もない。ただ彼のような人間が流れていくところがどういう場所なのかに興味があった。見つからなければ見つからなくてもよい。ただ北九州の風さえ感じられればよい。『サッド ヴァケイション』のアチュンが中国人に連れ去られた後、その事実を聞いた健次に食堂で川津裕介演じる元医者の男が話す台詞がある。「偶然なんてものはないんだよ。出会うべきものは出会うんだ」と。ほんのわずかでも縁があるのならばきっと彼とも出会えるだろう。そんなことを考えながらひとりバスに乗った。夏の暑い日。もう彼が映画をつくらなくなってから30年近く経つ。

2.
 まるで森崎東の映画のヒロインのようにひたすら西走する。気がつくとバスは山のなかを走っていた。まもなくして関門海峡を渡る。山と山を結んだ橋が高い。はるか下に光を反射して青白い海とタンカーや大きな船が動いているのが見える。山から海に流れ込むように海峡を挟んで両端にべったりと家並みが張り付いているのが見える。少しずつ門司港駅に近づき、山と海の幅が狭まっていくにつれて、どこかみたことがあるような印象をもたらす。『Helpless』(96) で安男が刑務所から戻ってくるときに乗っていたのはこの電車ではなかったか。工場や倉庫の間にときどき海峡が姿を現す。鹿児島本線の終着駅、門司港駅。ふたりの元やくざが駐輪場の駅を出て、その背後に現すあの建物である。はじめて来るはずの土地に記憶が根付いている。ここから下関へと連絡船が出ており、交通の要所であるこの駅は人の出入りも多い。いまは珍しい木造のばかでかい駅だ。まるで博物館のような風体。観光案内所、売店、ひとつひとつが古焼けた木の風味がでている。
 右へと進み、鉄道記念館を横目に緩やかな坂を登っていく。鉄道記念館では汽車、そして子供向けのちっちゃい電車の乗り物がくるくると回っていた。税務署の横を上がっていくとそこに風師山がある。駅から10分とかからないところにある。バス通りのほんの横道といったところを入っていくと、道が急勾配になり蛇行し始める。汗が吹き出る。だんだんと道が狭まっていくと、蝉の声が頭の周りを囲んでいるかのように聞こえ文字通りシイシイとやかましい。葉の一枚一枚が大きい。3分の1もあがると、山の下にふたつの町が見える。下関が目の前に見える。山と海峡の間の狭い土地にべったりと町ができていることがわかる。海峡はまるで川みたいだ。潮の流れは速い。小倉方面を見ると、工場群が見える。赤い煙突。まさに君臨しているというところか。北九州にいる間、どこからでも工場と煙突の煙が見えていた。きっとあの工場をみることで育っていくのでほんとに当然のようにあるものなんだろう。雲ひとつない快晴。まだ9時だというのに、気温が高い。立っているだけで汗がだらだらと出てくる。前日関東では熱中症で死者がでたらしい。こんなに大きかったっけというほど太陽が近い。ただ空気がからっとしているので気温ほど熱さは感じない。

 映画のなかで圧倒的な姿を現す若戸大橋。近づくにつれて突然現すその姿に思うのは色鮮やかでただただ大きいということだ。光石研さんが言っていた「君臨している」という言葉を思い出す。大きいのだが、異物としてそこにあるのではなく、見事に溶け込んでいる。小説のなかで間宮運送の場所というのはどこかということは明確な形で出てきていない。若戸大橋という言葉も出て来なければ、戸畑という言葉も出てきていない。しかし、若戸大橋という明快な風景と戸畑という土地が映画に彩を加えているのは事実だろう。橋のふもと戸畑には運送会社、海産物工場、解体屋、建築会社、廃品回収会社などの中小企業が軒を並べている。鉄鋼業に関連の中小企業が集まっているところなのだろうか。たもとにある渡しの船から自転車通学の学生たち、家族連れなどが出てきて自転車に乗って走り去っていく。この中古の漁船を改造した渡しがいかにこの土地の人々の生活と結びついているのかがわかる。ぶらぶらぶらぶら歩き回るけど、いっこうに間宮運送のロケ地がみつからない。おそらく本当にすぐ近くを歩いているはずなのに。住宅が軒をならべ、小さな工場がぽつりぽつりと点在する。本当にこんなところで撮影したんだろうか。そう思ってしまうくらいに決して特別な場所ではなく、ただただ生活する場所として見える。解体屋のおじさんが長袖の作業着を着て、鉄を切っていた。船で渡った若松側から見ると、海峡沿いに工場が並んでいるのが見える。クレーン、貨物船。間宮運送のある場所というのがどういうところなのかということが見えてくる。そうした土地のものが生活する場所の中にロケ地がある。合成しているとは少しも思わなかったけれど、本当に橋のすぐたもと、海峡から歩いて5分とかからないところに間宮運送の跡地はあった。
 近くの食堂で遅い食事。ホワイトカラーの人や作業着の人が13 時を過ぎているというのに入れ替わり立ち代わり店に入ってくる。みんななじみのようだ。焼き飯セット450円也。小鉢が3つに味噌汁と焼き飯がついてくる。やたら塩分が濃い。汗だらだらだから気を遣ってくれたんだろうか。カウンターのおじさんに食堂のおばさんがしきりに焼き海苔か何かをあげようとしていた。気にはされているようだけど、心地よいくらいに相手にされてない。太陽もほぼ真上に上がり、日差しが強くなっていく。しかし、そこまで暑さは感じない。というのも、常に吹いている風が火照った体をさましてくれるからだ。海峡が近くを走っているからだろうか。ほんのちょっと冷気を含んだ風が常に肌に感じられる。本当に吹き止むことなくずっと吹いていた。これが北九州の風だろうか。
 戸畑から鹿児島本線で、山のなかを通る長いトンネルを越えると八幡がある。駅に降りた瞬間から鉄をたたく金属音がする。駅ピルを建設中のようだ。がんがんがんと絶え間なく音が響き続ける。鉄の町といわれた八幡も徐々に新たな職種が入り込んでいるようだ。スペースワールドなるテーマパークができ、駅から見える山には観測所のようなものができていた。さらに製鉄所の前の広大な敷地には通信関係の会社の名前が見える。とはいえ、駅を海側に降りて歩いてみてもそこには八幡製鉄所の工場しか見えない。しかも、古びた稼動しているのかどうかわからないような建物で煙突なんか見えない。周りを歩いてみてもどこまでも同じ光景が変わらない。若松側からはいくつもの連なる工場が見える。きれいに赤と白の縞模様で彩られた煙突から空に向かって垂直に出る煙。また工場の周辺の海沿いには関連企業が並ぶ。造船業、運送業、コンテナ、トラック、三菱化学。若松側に回ってきてわかったのだが、同じ北九州でも区ごとに違うようだ。やはり鉄の町八幡を中心に、その周辺の若松やら八幡西区というのが関連企業になっている。さらに戸畑になると関連企業も細々とした中小企業になる。若松は新しく建てられたモデルハウスのような家やマンションが多い。さらに内陸へ行くと大学機関、団地が連なっている。『EUREKA ユリイカ』(00) という映画で、秋彦と茂雄が若松か八幡かと喧嘩しているところがあったが少しわかるような気がする。これは想像でしかないが、北九州の産業の中心でもある鉄の町の八幡とそのおこぼれを預かっている新興地の若松ということだろうか。小倉は繁華街で、門司は交通の場という気がするけども、北九州は区ごとに圧倒的に雰囲気が違う。

 若松線でかつてこの近くで彼がつくった映画の主人公の男の子たちを思い起こさせる高校生たちが、ライターを片手に弄びながらいきがって話していた。そのうちのひとりが電話で話していた。
 「ばあちゃん、今日は晩御飯たべてかえるけぇ」。
もう日も翳ってきた。学生やサラリーマンが帰宅していく時間だ。北九州市を後にして博多へと移動する。

3.
 真夜中の大濠公園。ここは光石さんのデビュー作『博多っ子純情』のラストシーンの場所。福岡城跡でもあるここには平和台球場や平和台陸上競技場などが跡地にある。土台の石垣だけが残っている。光石さん演じる六平はあの石垣から相手が来るのを待っている。そして、自分の知らぬところではじまった喧嘩を止めるために喧嘩が行われているど真ん中に飛び込んで山笠を歌うのだった。カップルとか子供とかと同時に缶を集めている人が何人もいる。彼もまた生きていたらこの頃合だろうか。公園の出口でカップルがいちゃつく前でおじさんが鍋を鉄の塊に戻そうと鉄の棒か何かで叩いていた。また鉄の音、ガンガンガン。大学生だろうか、7、8人男女が花火をしている。数年前なら僕もあんなことしていたような気がする。しかし、あそこからずいぶん遠くに来てしまったような気がする。なんか急に自分は何をしているのだろうかという念に駆られる。衝動的に。ここにいるのは他に行き場所を失った人か、あふれんばかりの若さか、自分が何をやっているのかさえわからないような人間が来るところなのか。芝生の上で横になる。木々の間から星が見えた。
 自分とは何の縁もない土地で彼のことを考えた。もはや彼のことが公の場で語られることはない。消息をたった監督のことを、彼の映画と関ったものも暗黙の了解として語ることを止めている。すでに語られることのない映画監督。たとえ彼が亡くなったとしても彼の追悼の特集が行われることは決してないだろうし、彼の50本近いフィルモグラフィーが全作上映されるということもないだろう。だが一方で彼の映画はおそらく今でも毎年のように日本のどこかの劇場で上映されている。ある特有のジャンルの映画を数多く監督したために、その映画はそうした種類の映画専門館でいまでもかけられているはずだ。それが千葉なのか、静岡なのか、大阪なのかわからないが、きっといまもどこかの映画館で上映されている。見に来ている観客はその男の名前も知らずにその映画を見て、ときにその映画が自らの欲望を満たさないために居眠りをしているかもしれない。映画を見る以上のことが求められている場所。もはや情報誌にも載らないような映画館。僕はそんな場所で身を縮めるように彼の映画を見ていた。行為そのものよりも、行為のために、欲望のために人間が突き動かされ、人間そのものの欲望が描かれる。セックスそのものが小道具のように扱われる。どこまでも通俗的でありながらも、突然湧き上がる衝動。そんなものを飽きもせず追いかけていた。なんでそこまでしてその映画監督の作品を追いかけていたのかもいまとなってはわからない。当時の僕にはそこまでしてもその監督の映画を見なくてはならなかったのだと思う。うまく説明できないけれど、そのころ僕が抱えていた映画を見ることという意味だったんだと思う。きっと僕にとって映画を見ることの楽しさを教えてくれたのが森崎東という監督の作品であったとすれば、僕を映画の方に引きずり込んだのはその監督の映画だった。

 毎年七月の頭に行われる博多祇園山笠の総鎮守である櫛田神社には高さ20メートル近い山笠があった。その近くに24時間営業のラーメン屋があって入る。店内には水商売の人と思われる酔っ払った男ふたりと女ひとりがいた。中洲で働いている人だろうか。決しておいしいわけでもないラーメンを食べていたら、若作りした男の人が入ってきて、三人組と話し始める。たぶん初対面なのだろう。出会ったばかりの人間同士のぎこちなさとささやかな興味で会話は満ちている。後から入ってきた人はバーバラさんというらしいことが会話からわかる。バーバラ姉さんだ。かつて倍賞美津子が森崎東の映画で演じた役名と同じ名を持つこの男性は山咲トオルにしか見えないんだけれども、自慢話をし、貪欲に男性客にアピールするこのバーバラ姉さんもまた、ストリッパーとして流れていたあの映画の主人公のように流れ者なのだろうか。博多の場末のラーメン屋。そんな場所に誰とも知れない者が流れてくる。お金を払って店を出ようとすると、店のおばちゃんに「お疲れ様」と言われる。何者だと思われているのだろうか。誰とも知れない自分のような人間の扱いにも慣れたラーメン屋のおばちゃんの対応に懐の深さを感じつつきっと何者がそこにいてもいいんだという至極当たり前のことに安心する。

4.
 日もだいぶ上がってから新幹線で帰途についた。九州という土地は映画の記憶に息づいていた。いや、こういう言い方は正しくない。青山真治という映画監督が僕に九州の土地を記憶として息づかせ、また先人の監督たちが息づかせた。ロケーション撮影ということが当たり前になった現在では、どこかに赴き映画をつくることは珍しくなくなっている。ただその場所には当然のように生活する人がいて、その土地特有の風景というものがある。それに寄り添いながら、だが同時に変わっていく風景のなかでそれをなし崩しにしていくものもある。戸畑をはじめとして、その場所は特別な土地ではあるが、同時に人々が生活する場所として決して特別なものではない普遍なものとしてある。その特別さと普遍さに寄り添いながら『サッド ヴァケイション』はつくられている。

かつて彼はあるインタヴューで次のように答えている。

昨夜の2時頃かな、ふと、ある思いに駆り立てられたんですよ。この前、長谷川法世と酒飲んでいて「おお!草野球」(長谷川法世作の劇画)を映画化しようなんて話してたんだけど、それをどっかの映画会社でやるんじゃなくて、原作と同じように最初からガラクタ人間ばかり集めてチーム作って、それを実際に訓練しながらひとつひとつ撮って行こうと。そういう思いにバーンと駆られてね、それで朝になるとすぐ長谷川法世に電話して「やろう、やろう」なんて(笑)。みんなでやりませんか?そういうの。ね。面白いと思うんだ。試合させて、勝てば勝ったでいいし、負けりゃ負けたでいいし、その中にそれぞれの変な生活があったりね。だから、35ミリのキャメラと、あと最低必要なものを手に入れて来て......。そういうのもいいなあと、今思ってるところなんですけどね。

 単なる思いつきのように語られただけであるんだろう。この映画は実現しなかった。九州の風を感じようと、ある男の残像を探して動き回った2 日間、結局何をしにいったんだかわからない。本当に通過しただけだった。誰かを探しに行ったはずが、もはや自分が誰ともわからなくなる。でもきっとガラクタでいいんだし、ガラクタでいることは決して恥ずかしいことじゃない。間宮運送という場所がしていたのもきっとそうしたことなんだと思う。だから、僕らの心を撃つ。きっと『サッド ヴァケイション』の女性たちだったら、こんな僕の物語もまた大した話ではないと相手にしないだろう。だが、男たちは強さがない代わりに右往左往して必死に物語を語らねばならない。もはやそうすることで弱さを隠すことしかできないんだ。得体の知れない怖さに男たちは物語を語ることでしか対抗できない。だがそう、勝てば勝ったでいいし、負けりゃ負けたでいいじゃないか。そう、せつに思う。

 文中にその監督の名前を何度も書こうと思ったけれどやめた。ちょっと調べれば誰にでもわかることだ。それに彼だけが特別なわけではない。すでに語られることのない映画監督にこのほんのちっぽけな夏の想い出を捧げたい。映画をつくる際にはボール拾いでも何でもやりますよ。