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October 21, 2007

第20回東京国際映画祭レポート『恐怖分子』エドワード・ヤン
宮一紀

[ cinema , sports ]

 第20回東京国際映画祭が開幕した。メイン会場となるTOHOシネマズ六本木ヒルズに上映作品の出演者たちが多数登場したことが大手メディアでも報じられている。日本の映画業界がそんなに華々しい世界だったとは寡聞にしてついぞ知らなかった。僕が訪れたのはもうひとつの会場である渋谷Bunkamura。会場周辺ではボランティア・スタッフたちが呼び込みをしていたが、そもそも普段から混雑したエリアなので、果たしてそれが映画祭の客なのか単なる通行人なのかの区別がまるでつかない。エントランスをくぐると地下一階のカフェ・ドゥ・マゴのテラスから有名なジャズ・ヴォーカリストの歌声が聞こえてくる。多くの人が吹き抜けになっている上階からステージを見下ろしていた。上映時間が迫っていた僕は立ち止まることなくオーチャード・ホールへ向かう。『恐怖分子』はエドワード・ヤン作品の中ではVHSで見ることのできる数少ない作品だが、映画館での上映となるとやはり目にする機会は滅多にない。そのような貴重な上映のはずなのだが、やや空席が目立っていた気がする。当日券の売り切れも覚悟していた友人はやや拍子抜けした様子だった。
 エドワード・ヤンを「台湾人の映画作家」と呼ぶことにはおそらく何の意味もないが、「台湾の映画作家」と呼ぶことはおそらく正しい。なぜなら、本誌26号の中で渡部進也が指摘しているように、彼の作品では都市があたかも主体として振る舞うかのように描かれるからだ。もちろん都市とは台北のことである。白いカーテンを靡かせる風や檻の中で吠える犬、建物の雨樋を伝って滴り落ちる水といった要素は何らかの記号であるというよりは、単に台北という都市を形成する断片に過ぎないというほうが相応しいように思われる。エドワード・ヤンの作品では、都市の断片を寄せ集めていくそうした作業がそのままショットを繋ぎ合わせていく映画という作業と等号で結ばれている。
 「小説と現実はちがうのよ」——『恐怖分子』のなかで小説家の妻は研究医の夫に繰り返しそう言い聞かせるが、夫には最後までそれが理解できなかった。折りしも勤務先の病院で念願の昇進への道が閉ざされた夫は、夫婦が倦怠期を経て別居に至るという「日本の推理小説にヒントを得た」妻の物語を読んで、最後に夫が自殺をするという小説の結末を自らなぞることになる。最近の「日本映画」を見ていると、たしかに現実を美しい物語に書き換えてノスタルジックな感傷に耽るものが少なくないようだが、果たして映画と現実はちがうのだろうか。


第20回東京国際映画祭 TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて開催中