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January 10, 2008

『再会の街で』マイク・バインダー
松井 宏

[ cinema , cinema ]

興味深い点はひとつ、どうして彼らは旅にも出ずNYに留まり続けるのかということだ。彼らとはすなわち9.11で妻子を失って心を病んでいる元歯科医アダム・サンドラーと、かつて大学時代ルームメイトで数年ぶりに偶然彼に再会した歯科医ドン・チードル。つまりこれは恰好のロードムーヴィネタだろうということで、たとえばヴェトナムで心病んだ男たちは旅に出ていたではないか、そこでわけもわからず海を目指してみたり、どうしようもない目的を叶えようとしてみたり、どうしようもない恋をしてみたり、どうしようもない友情に身を尽くしてみたりしていたではないか。だのに『再会の街で』のふたりは旅に出ない。確かに友情も恋もあるのだが、そこにはどうしようもなさというか「しょうもなさ」みたいなもの、つまり馬鹿馬鹿しくて真剣でだからこそ涙が出てしまうものがまったくない。だからこのフィルムは「70年代アメリカ映画」の単なる失敗作に見えなくもない。サンドラーは基本的に引きこもりだからしょうがないと言えばそうなのだが、だったらそんなものは別のフィルムに任せておけばよい。だいたい『パンチ・ドランク・ラブ』のサンドラーだってがんばってハワイまで行った。
ロードムーヴィをNYというひとつの街に折り畳んだこのフィルムは、外へと映像の果てを目指すのとは真逆に、内にて最新テレビゲームからメル・ブルックスを経由してヘイワースとアステアまで、無節操というか妙にすいすいと各種映像を駆け滑り、あたかもサンドラーが操るモーター付きキックボードのように、停止や退屈を尻目にすいすい進行してゆく。停止や退屈を恐れているのか、あるいは、どうしようもなさやしょうもなさに付き添う勇気が足りないというか。
けれどそれはそれで、おそらくいいのだ。ここで指摘すべきは単純に、脇を固める登場人物たちの造型の弱さなのだろう。あんなに素晴らしいリヴ・タイラー演じる精神科医や、フェラチオ狂の美しきサフロン・バロウズ、それに監督バインダー自身が演じる会計士シュガーマン、設定は良いはずなのだが、どうにも皆及び腰なのだ。特にシュガーマンに関しては、これはサンドラーの資産を狙う最低のクズ野郎として、愛すべき姿を最後まで貫かせるべきではなかったか。それが裁判長ドナルド・サザーランドの一喝で姿を消すようではちと寂しいだろう。異様に怖いサザーランドに「お前はクズだ、いらない」と言われるならば、そのクズたる者の最良の顔を映すショットをちゃんと見せるべきじゃないか(おそらくそのショットを欠落させることでバインダーは自らの手でこのフィルムを完遂させた)。
どうしようもないやつも、しょうもないやつも、クズ野郎も、皆が皆なし崩しに好い人になってしまうNYはちっとも魅力的ではないのだが(ついでに『アイ・アム・レジェンド』のように闇雲に犠牲者を求めるNYも、あれも賛成しかねる)、結局はサザーランドがいればそれでいいではないかと言ってみたくもなるので、これはちと困ったものなのだった。