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April 2, 2008

『きつね大回転』片桐絵梨子(「桃まつり」より)
松井 宏

[ cinema , cinema ]

『きつね大回転』はその名の通り「回転」に満ちている。回転こそが内部を作り出す。ここにあるのは内部だけだ。きつねの住まう世界と人間の住まう世界は内部と外部に別れてはいない、そのどちらもが内部であり、ふたつの世界は分身なのだ。彼ら彼女らがともに都市(東京)に巣食い、闘いを挑み、そのリヴェット的遊戯が都市の分身さえも生み出す。だがまた冒頭とラストに映し出される上下のエスカレーターが示すように、『きつね大回転』の回転運動は垂直運動を伴った「ねじの回転(TURN OF SCREW)」でもある。つまりここに無為な回転など存在しない。それは物語をつねに的確にグサリと進行させる、ねじの「ひとひねり」なのだ。ぐるり、ぐさり、ぐるり、ぐさりと(そこには編集のリズムも一役かっている)、このフィルムは我々を確実に突き刺してゆくのだ。
主人公の女性文子の世界は、ある秘密の暗号めいた言葉を鏡にして、きつねの世界と分身になる。それはある男に向けられるべき「私はあなたを愛している」という言葉だ。文子の世界にはこの言葉が欠如している。一方でそれは、きつねとその世界にとっては、あらゆる行動の規範であり根本的な秩序だ。だからきつねと出会ってしまった文子にとって、この言葉は徐々に「謎」として現れ、重くのしかかる。彼女がとり憑かれるもの、それはまさにこの「謎」なのだ。もっとも力強く感動的なシークエンス、文子が男をきつねに完全に奪われそうになり、ついに両者が向かいあうとき(もちろんきつねは女の姿をとる!)。きつねは彼女に言う、「おまえはあの男を愛しているのか」と。そしてきつねは不敵な笑みとともに彼女の周囲を、文字通りぐるりと一回りしてみせる。このフィルムのねじが最高度にグッとひとひねりされ、ぐさりといく。そう、なんとそこで文子は、文字通りこの「謎」を獰猛に喰らってしまう! その返り血を口回りに付着させながら、「謎」を受肉してしまうのだ!「私はあなたを愛している」——それはそのときいまだ謎のままとはいえ、しかしいまや、文子はその謎が存在するというそのことを知覚しており、そして彼女の身体こそが(その後躍動してゆく彼女の身体を見よ!)彼女の頭のなかよりも言葉よりも素早く、その謎を我々観客に明らかにする。
「私はあなたを愛している」という自明すぎる謎をどうやってフィルムに定着させるのか? そのための秀逸な装置であるきつねとは、だがまた「フィクション」そのものの姿だとも言えよう。そう、この謎を知覚させられるのは「フィクション」以外ありえない。もちろんそれを作動させるのに必要なのは物語だけでない、演出の強度こそが必要だ。『きつね大回転』がその証拠だ。そう、このフィルムは本当に素晴らしいラブストーリーである。男と女の愛を、そして我々とフィクションとの間の愛を再発見させ、そこに信仰を与えてくれるからだ。