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August 11, 2008

『JUNO/ジュノ』ジェイソン・ライトマン
結城秀勇

[ cinema , cinema ]

 前作『サンキュー・スモーキング』もそうだったが、この監督(『ゴーストバスターズ』のアイヴァン・ライトマンの息子である)の作品は嫌いになれない。一見小品だが重厚な味わいがあるというわけではなく、小品は小品ながら、その尺度身の丈にあった誠実な作品を見せてくれる。
 なにかと『ゴーストワールド』と比較されている『JUNO/ジュノ』だが、重要な比較要素としては主人公と年上の男性との音楽の交換が挙げられるだろう。『ゴーストワールド』では、77年オリジナルパンクを信仰するソーラ・バーチと、第2次大戦後の音楽は音楽じゃないというスティーヴ・ブシェミの時代錯誤なふたりの出会いであったが、同様に77年オリジナルパンクを愛するジュノ=エレン・ペイジにおいてはより複雑なアナクロニズムが展開する。彼女のこれから生まれてくる子供の養父となるはずの年上の男性から彼女に手渡される音楽は、93年を頂点とするグランジ(オルタナ)なのである。そこには戦前の78回転SP盤とパンクのヴィニール盤の間に横たわるような断層は既にない。仮にもグランジ好きセミプロミュージシャンがストゥージスもパティ・スミスもちゃんと聞いたことがないなんて考えにくいという脚本的な難点はおいておくにしても、パンク〜オルタナという直系の流れの中でのふたりの趣味の交換はほとんど不毛だという気がする。別にあの男なしでもジュノはソニックユースをいずれ知ることになってもおかしくない。
 でも、そんな似た者同士の狭い社会においてでさえ、垣根を越えたひとつ隣の物事を知ることすらも非常に困難なことになっているのが、いま私たちの住む世界でもある。日本の郊外にもたぶんこんな女の子いるよなって思う。そんな田舎にいまだにカート・コバーンに憧れてるおっさんといまさらパティ・スミスに憧れてる女の子が、お互いのことも知らずに生きていて、たまたま出会う。ダリオ・アルジェントよりハーシェル=ゴードン・ルイスが良いって意見は通るが、ストゥージスよりソニックユースがすごいって意見は却下される。あるものは伝達されるし、あるものは伝達されない。そこから現在生まれつつある音楽やら映画の話になったりしない。
 この距離感の失われた歴史を、年上の男と少女の間で交換される音楽が象徴している。カーペンターズの「Superstar」のカヴァーでソニックユースと出会い、彼らのオリジナル曲を聞いて「ただのノイズじゃん」って幻滅すること。デヴィッド・ボウイがプロデュースした「All the young dudes」でモット・ザ・フープルを紹介し、それが彼らの過激なパフォーマンスよりもかつてプロムのダンス・チューンだったのを想起させてしまうこと。
 とかく脚本が評価されているこの作品だが、脚本上重要なこれらの楽曲をこれ見よがしにじっくり聞かされてたら、前述の閉塞感をやたら煽るだけの作品にたぶんなっていただろうと思う。でもここで書いたことなんていろいろ起こることのひとつの側面でしかないし、例のソニックユースもモット・ザ・フープルも、メインで使われてるキニア・ドーソンやその他の楽曲とまったく同じ比重でさらりと用いられている。そしてジュノが再発見する最愛の男の子は、彼女が経験したパンク〜オルタナ間の交流とはまったく別の場所から、ふたりが歌うにふさわしい楽曲を見つけてくる。
 そうした控え目だが的確なやり方が、なにか新しいこと、いまここにないものをゼロから生み出すような素晴らしさではなくて、いまここにあるものでもこれだけできるんだという感動を与えてくれる。ジェイソン・ライトマンの手によって、『JUNO/ジュノ』は秀逸なカヴァー曲のような魅力を与えられている。

現在、東京都内ではシネマート新宿、吉祥寺バウスシアターにてロードショー中