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October 21, 2008

「BRUTUS」2008年 11/1号 山特集──ワンダーフォーゲル主義
梅本洋一

[ book , music ]

 久しぶりに「ブルータス」を買った。ロゴはいつもと同じだったが、表紙の色調がいつもとまったく異なっていたからだ。おそらく剣岳が描かれていると思われるブルーとグレイとグリーンの版画だ。とても懐かしい気がした。いつものHUGO BOSSだのBurberryだのの広告ページを一挙にめくり目次に目を凝らす。「山特集──ワンダーフォーゲル主義」と題された特集で、半分はジョン・ミューア・トレイルの話、そして後半は日本の山の特集。ぼくの興味を引くのは、日本の山特集のうち、ふたつの項目だ。「山を愛した建築家 吉阪隆正」と「山の文芸誌『アルプ』」がそれだ。思い出した。表紙がぼくの心を揺さぶったのは、表紙になっている版画をかつて見たことがあるからだ。それは畦地梅太郎がかつて『アルプ』のために作ったものだったからだ。ぼくは『アルプ』を十代のころ定期購読していたのだった。串田孫一、尾崎喜八、そして辻まことの文章が特に好きだった。少し厚手の表紙に「アルプ」というロゴがあり、畦地梅太郎の版画が、いつも上品にその下にあった。中は、先述した著者たちを中心にした山岳エッセーが並んでいた。ただ高原が広がっていた時代の清里なんかが舞台になっていた。
 もちろん吉阪隆正はル・コルビュジエ事務所で働いていた3人の日本人のひとりで、登山家でもあり、ぼくが大学時代に入っていた同好会が持っていた蓼科の山荘を設計していた。彼にはスキーロッジや山小屋などの作品も多い。「ブルータス」には、彼の作品の写真も多く掲載されている。同好会の山荘の他、彼の作品では野沢温泉ロッジに泊まったことがある。
 話を『アルプ』に戻そう。この雑誌は本当に上品な雑誌だった。串田孫一を中心に「渋く」編集されていて、虚飾を廃し、気品溢れる文章だけが掲載されていたように思う。バックナンバーも持っていたが、お金がないときに売ってしまった。後悔している。だが、不思議なことに、最近、この雑誌の常連のメンバーだった辻まことという固有名に本当によく出会う。彼は、辻潤と伊藤野枝の間に生まれた子供で、伊藤野枝は周知の通り、辻潤を捨てて、大杉栄の許に走り、その後、日影茶屋の事件に繋がっていく。辻まことは、一生流浪の生活を送ったアーティストだった。ぼくが『アルプ』を読んでいたころはそんなことはぜんぜん知らなかった。
 もちろん、「ブルータス」は、半分の特集がジョン・ミューアについての記事なので、吉阪についても、『アルプ』についても表面的な記事ばかりで、もっといろいろなことが知りたくなるし、このふたつの固有名をきっかけに別の雑誌を作ってみたくなったりする。たとえば吉阪を中心に山岳リゾート特集をするのも面白いだろう。上高地帝国ホテルと赤倉観光ホテルと十和田ホテル、それに日光金谷ホテルを入れて、これら昭和初期に作られた山岳リゾートホテルを中心に、日影茶屋事件から展開する暗い日本と別のもうひとつの昭和の方向性も見えるかも知れない。外貨獲得のために、外国人用のリゾートホテルを建てるという発想が、日中戦争へとひた走る同時代の日本にあったこと。鬼畜米英とは正反対のWelcome to Japan! 当時のホテル建築といえば、上高地帝国ホテルも赤倉観光ホテルも、さらに伊豆の川奈ホテルという海浜リゾートも、佐野利器と共に学士会館を設計している高橋貞太郎の手になるものであること。そして山、高原、リゾートの側に属する人物として辻まことをフィーチャーする特集も面白いだろう。誰が読みたいのか、という問題もあるだろうが……。辻まことの伝記映画もいいかも知れない。