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June 22, 2009

『ターミネーター4』マックG
結城秀勇

[ cinema , cinema ]

 セカンドチャンスとパロディを履き違えてはいけない。いま目の前で起こっていることを、かつて起こったことにデジャヴュのようにすり替えていかない限りなにも起こらないこの映画にはなにひとつチャンスがない。
 冒頭に登場するヘレナ・ボナム=カーター、影の薄いヒロイン役ブライス・ダラス・ハワード、そして音楽のダニー・エルフマンと(もしかしたらそこにクリスチャン・ベイルを加えても良いのか)現在のアメリカ映画でファンタジーと現実のあわいを意識させるような人材が意外と集まったこの作品は、しかしながらこれまでのシリーズについての言及ばかりに終始して、前3作がかろうじて持ちえた現実との接点を失っている。
 冒頭のシークエンスが2003年とわざわざ記されるのはイラク侵攻をひとつの断層とするためなのか、それにしてもその地点とそれ以後に流れる時間との距離間がまったく不明瞭だ。シリーズの継続とともに少しずつ進行したはずの時間軸がこの作品で大きく歴史を追い越す。そうして最先端の地点に来たはずのジョン・コナーと観客を待ち受けるのはすべてはかつて語られた通りという既視感である。要するに原題に数字の代わりに「salvation」という言葉が付された本作はいわゆる「ビギニング」ものとして見よということなんだろうか。
 だとすれば同じ「ビギニング」ものでもJ.J.エイブラムスの『スタートレック』の方を断固支持したい。過去の正しさを証明するためにしか未来が存在しない『ターミネーター4』よりも、過去に語られた物語にたどり着くために反故にされた約束から始める『スタートレック』を。元祖ターミネーター「T800」のシュワルツネッガーの顔をコピー&ペーストしてしまう前者よりも、「カーク船長」や「Mr.スポック」の面影を再構築するのではなく若い俳優たちの顔を作り上げることを選んだ後者を。
 廣瀬純『シネキャピタル』からの孫引きになるが、「クリシェに対する怒りは、それがクリシェのパロディ化に甘んじている限り、たいした結果をもたらしはしない」とジル・ドゥルーズは書いている。そのような状況において「すべてのクリシェからひとつの《イメージ》を引き出すチャンス」、そのために必要な「美学的かつ政治的なプロジェクト」が『ターミネーター4』には決定的に欠けている。

丸の内ピカデリー他、全国ロードショー中