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July 1, 2009

『クリーン』オリヴィエ・アサイヤス
梅本洋一

[ book , cinema ]

 エミリー(マギー・チャン)は、いくつもの風景といくつもの音響を通り過ぎなくてはならない。カナダのハミルトンにある煙突から燃えさかる炎が上がる工場を背にした寒々しい川、人々が折り重なるように身を捩る中でマイクの前で多様な音声を絞る人たちのいるライヴハウス、どこでもまったく同じインテリアで、ここがどこだか判らなくなるようなモーテルの一室、売人と買い手が金銭と白い粉を交換する人気のないパーキング、息子を預けてあるヴァンクーヴァーの邸宅、皿や食器の騒音と客の話し声が交錯するパリの中華料理店、いくつもの地下鉄と郊外電車と長距離列車とユーロスターが行き交うパリの北駅、その前にある豪華なホテル、そして彼方にゴールデンゲイとブリッジを望むスタジオ……。夫のロックスターがクスリで命を落としてから、否、彼の存命中からすでに、エミリーには自分の場所がない。
 クスリの罪で投獄され、出所してから彼女は文字どおり行き場がなくなる。だが、生きていくことを選んだ限り、彼女は、自分のいる場所を「とりあえずの」の居所として、自らの時間を生きていくほか選択肢はない。義理の両親に預けたひとり息子と会いたい。だが、それには生活を営む能力が必要だ。生活を営むとは、そのための金銭を稼ぐ行為だけを意味するのだろうか? かつての栄光もかつての自分も関係なく、今、ここで生きる、たったそれだけのことがこんなにも難しいのはなぜだろう。人は、夫のロックスターが死んだのは、彼女がクスリを渡したからだ、と言う。罪を引き受けることと、生きていくこと。その困難さに振り回されながら、頼れる人は全員に頼っても、それでも、生きていくことは難しい。
 北駅の複雑な構内を、オレンジ色の帽子を被ったエミリーが足早に、絶望を湛えて通り過ぎ、踵を返して、やはり足早に戻っていく。歩様は次第に速度を増す。義父と息子がそこにいる。再会!もう一歩遅くてももう一歩早くてもあり得ない再会。生きていくことはいくつもの偶然に満ちていて、あらかじめ立てられた計画は未来にはいつも裏切られている。だから、未来など決して判らない。だが、今から繋がる未来の、そこでその瞬間に生きていくために、今の自分を支え続けなければならない。そんなエミリーを常に見守ろうとする義父(ニック・ノルティ)も、死に行く妻の傍らにある。息子を失い、妻を失い、それでも、絶望視ながらも、エミリーを見守り、孫を愛し続けようとする義父。やはり、今、生きていくしかない。そこに選択肢はない。ラストで、ゴールデンゲイト・ブリッジを眺めながら、エミリー=マギー・チャンも、ぼくらもそう確信する。だが、いったい、マギーはこれからどこへ行くだろう。そして、ぼくらも、これからどくへ行くのだろう。

8月、シアター・イメージフォーラムにて待望のロードショー