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July 8, 2009

『セントアンナの奇跡』スパイク・リー
渡辺進也

[ cinema , sports ]

 スパイク・リーの作品に慣れ親しんだものもそうでない者もブラックムーヴィーのひとムーヴメントをつくった監督のひとりとして、スパイク・リーの映画といったときにある程度イメージすることはできるだろう。同人種として黒人の姿を生々しく描いたということ、自らのアイデンティティに寄る映画つくりをしてきたということ。その実際がどうであれ、この監督が語られるときにそうしたイメージはこの監督にずっとつきまとうものとしてある。より大きな資本での製作へと移り、単なる黒人社会の問題からより大きなアメリカの問題へと題材が移ろうとも、『インサイドマン』のように白人を主人公にしようとも、スパイク・リーは黒人の映画監督として真っ先に思い浮かべられてしまう。それは、比較的同じ時期にジャネット・ジャクソンらを使ってブラックムーヴィーを監督してきたジョン・シングルトンなどと比べても幸か不幸かその度合いは非常に強い。
 『セントアンナの奇跡』では、たとえばこの前作『インサイドマン』が銀行の中に留まり続ける男の話でありひとつの場所を基点に物語が作られていたウェルメイドな小さな映画だったのに対して、大きな物語が語られることになる。時代は第二次世界大戦、舞台はヨーロッパ。実在した黒人だけの兵隊バッファロー・ソルジャーを題材にとる。それが1983年を現在とした回想のかたちで語られ、40年間を巡るはなしとなる。
  『セントアンナの奇跡』が第二次世界大戦に実在した黒人だけの部隊バッファロー・ソルジャーを扱った作品であると聞くとき、やはりそこでは観客にある種の期待を呼び起こすことになるだろう。白人の兵と同等の扱いを受けることのない部隊、国から見捨てられる部隊。だが、ここ最近のスパイク・リーの作品がそうであるように、ここで扱われるのはそうした黒人兵たちだけではないのだ。敵となるドイツ軍たち、戦場となったイタリアの農村の人々、その地のゲリラたち。ここまで描かれた戦争映画にも増して多くの国籍、人種が入り混じる。
 アメリカ人の視点から第二次世界大戦が描かれるとき、当然のようにドイツ軍は悪役として描かれる。残虐非道を繰り返す者として画一的な描かれ方をするのが常となる。そして、そうしたクリシェは実際の正しさをよそにおいて、本来、物語の経済性を担っているものでもあったはずなのだ。単純化されたクリシェは物語叙述を素早くするからだ。しかし、スパイク・リーがここでとる方法はいかにも人種の問題から出発した彼らしいのだが、バッファロー・ソルジャーの中にも良い奴もいれば悪い奴もいるし、ドイツ軍にも良心的な判断を持つ将校もいれば、ゲリラの中にも人民を裏切る者もいるというように、画一的に描かれがちのこの戦争をよりひとりひとりに焦点をあてた形で描かれることになる。だから、バッファロー・ソルジャーだけでなく、主要な登場人物から脇役であるような人物に対しても、そのひとりひとりに公平な視点を与えていくこととなる。それがスパイク・リーが戦争映画を描くときに選択する方法となるのだ。問題は黒人社会だけのものでも、アメリカ合衆国だけのものでもなく、より大きなものとなっている。
 それゆえに、ストーリーの円滑さよりも些細な脇役までをもクリシェではないものとして描かれることをここでは優先されている。この映画は大作らしく163分の時間を持つのだが、そこにはスパイク・リーという監督ゆえの問題が表れているようにも感じるのである。


7月25日(土)、TOHOシネマズシャンテ、テアトルタイムズスクエア他にて全国ロードショー