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July 19, 2009

『トランスフォーマー リベンジ』マイケル・ベイ
結城秀勇

[ cinema , cinema ]

 前作『トランスフォーマー』を見て思ったのはだいたい以下のようなことだった。地球外からやってきた機械生命体であるところのトランスフォーマーたちは、映画の画面内においてもある種のエイリアンであり、フィルムとの光学的な関係からその姿を写し取られる他の被写体とは異なった原理の上に成り立つ存在である。それはCGだから当たり前だと言ってしまえばそれまでだが、そんなことをいまさら強く思ったのも、人間のスケールよりはるかに巨大で鋼鉄(あるいはなんだか知らないがとにかく硬い物質)でできているはずの彼らが、人間よりもはるかに速く動き、そしてはるかにもろいからだ。一瞬で姿をがちゃがちゃと組み替えていく変形シーンばかりではなく、実在の建築物・セットの前で繰り広げられる彼らの格闘ばかりではなく、ただぼけっと突っ立っているだけのシーン――シャイア・ラブーフの家の前に彼ら一同が集まるところを思い浮かべてもいい――でも彼らは非常にせわしない。顔や関節のような細部が絶え間なく動き、色彩は異常にギラギラしていて、そして彼らがフレーム内に存在してしまうことでそのショットは長続きすることができず慌しくカメラポジションが変わることになる。彼らは人間や風景のように持続することができない。設定や外見とは裏腹に、トランスフォーマーたちはとてもエフェメラルだった。
 さて『トランスフォーマー リベンジ』を見て、冒頭何千年前だかのトランスフォーマーと人間の邂逅を描く場面でもやはり上記のようなことを再確認した。前作では周到に避けていたトランスフォーマーが人間を踏み潰す描写をここで行っているが、下半身を踏み潰されたはずの人間が巨大な足がどけられた後でも、肉体が欠損したりすることなくそのままの姿でごろんとなっているのを観客は目にするだろう。機械の体が砕け引きちぎられることは頻繁に起こっても(とういうか決着はそういう形でしか着かない)、人間の肉がちぎれ飛び散ることはないのだ。しかし一方で、前作では巨大な足が人間を踏み潰しそれが再び持ち上げられるまでを同じショットの中に収めることはできなかっただろうという思いもした。トランスフォーマーは第二作目までの間にだいぶ進化した、前作とは比べ物にならない持続力を手に入れたのだ。
 単なる技術的な進歩にしか過ぎないだろうこの事実が、『リベンジ』に一作目にはなかった魅力を付け加えているのは確かである。ジョン・タトゥーロがここまで活躍できるのも、トランスフォーマーたちがそこに留まり続ける無言の頑張りあってのことだろう。シャイア・ラブーフが、『イーグル・アイ』や『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』などスピルバーグの後押しで得た経験を活かせるのもトランスフォーマーさまさまだ。『リベンジ』では、彼らが何のために戦っているのかという疑問が間接的にオバマ新大統領から投げかけられるが、彼らと人間との共闘は戦術的な意味合いを越えた重要性を持っているのかもしれない。たとえ戦いの原因が彼ら自身にあるのだとしても。

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