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September 4, 2009

ケンチク+ XXX 『 Dialogue and Studies in XXX , 2009 Tokyo 』15人の建築家と15人の表現者による対話実験@ワタリウム美術館 第一回 長坂常×植原亮輔+渡邊良重[D-BROS]
結城秀勇

[ architecture , cinema ]

 このサイト、およびnobody本誌でも時折ご寄稿いただく藤原徹平さんが企画・コーディネートをつとめる15回の対話。その第一回は、書籍『B面からA面にかわるとき』が先日発売された長坂常と、D-BROSにてデザインを担当する植原亮輔と渡邊良重のふたりという組み合わせ。毎回、その両者がそれぞれにプレゼンを行った上で、その後に質問や意見を交換し合うというスタイルになっているようだ。
 プレゼンはD-BROSのふたりから。という書き方がすでに誤解を招きそうなのだが、D-BROSはふたりのデザインユニット名ではなく、会社でもなく、ひとつの企業内の「メーカー」なのだという説明がまずなされる。詰替用シャンプーの容器から着想を得たという花瓶、水を入れると向こう側の絵が拡大して物語が生まれるコップ、鏡面加工したカップの表面に皿の図柄が美しく映り込むカップ&ソーサー、非常に薄い紙で出来たポップアップのカードなどのプロダクツが紹介される。街を行く女の子が手にしていたりするウンナナクールの紙袋のかわいらしいデザインに目を引かれたことはあっても、まあそんなときに見知らぬ人が下着を買った紙袋などじろじろ見るわけにもゆかぬので、こうしてあらためてD-BROSのデザインを見てみると、かわいらしさだけではない物作りに対する繊細さを感じる。いや、繊細さというよりも、非常に薄い紙を用いてそれでもその紙がきちんと立ち上がるという、繊細さへの信頼とでも言おうか。
 続く長坂のプレゼンでは、「Sayama Flat」「円山町の部屋」「奥沢の家」というリノヴェーションの仕事が紹介される。なにひとつ付け加えることなく、もと在ったものを撤去することでリノヴェーションを行った「Sayama Flat」、円山町という環境から隔絶した居住空間をつくるのではなく、積極的に外部空間を組み込んでいくような色彩を(それも新しく付け加えるのではなく元々あったものをむき出しにするという方法で)用いた「円山町の部屋」、といった作品を見ることで彼の作家性が浮き上がる。そして「奥沢の家」の話がとてもおもしろかった。「子供の頃、「あいつんちは金持ちだ」と言われたような家」という形容が非常に当を得ている、洋風趣味なのかなんなのか煉瓦風の外観に白い張り出しがついた家。当初「さすがにどうしようもない」と思ったというその家が、実は三角屋根の木造建築の構造を背後に隠し持っていたことを知り、それを逆に見せることで、また外観の煉瓦風を完全に消し去るのではなく生かすことで改修するというプロセスは非常にスリリングだった。彼が「解像度を下げる」あるいは「劣化させる」という表現を用いる時のポジティヴなニュアンスも刺激的だった。
 この二組の表現者の共通点、というよりこの二組が出会うことで見えるなにかは、この下手なリポートを読むよりも、実際にその場にいれば一目瞭然にわかるものだった。だから観客のひとりから「作品に対する時間の経過をどう受け止めるか」という質問があった時の三者三様に戸惑った感じが興味深かった。長坂の(現状回復を店子が求められない賃貸物件である「Sayama Flat」などは特に)リノヴェーションが済んだ時点で「完成した作品」になるわけではないというスタンスも、D-BROSのあくまで「商品」なのだというスタンスにもうなずけた。とりわけ渡邊が語った、商品だからこそ「お気に入りのモノ」になりうる可能性を持つ、という話。実際、私がこのイヴェントを通じて考えたのは、「建築はどうあらねばならないか」あるいは「デザインはどうなってゆかねばならないか」などという大それたことではなく、あの桃太郎めいた赤ん坊が描かれたメッセージボックスを近々第一子が生まれる友人にあげようとか、たかだかそんなことで、その程度の日常からの距離感、日常をちょっとだけよくする距離感が、この二組にあってそれがとても心地よいものだった。


15人の建築家と15人の表現者による対話実験