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February 22, 2010

『リミッツ・オブ・コントロール』ジム・ジャームッシュ
結城秀勇

[ cinema , music ]

 吉祥寺バウスシアターで行われている「爆音ナイト傑作選2009」にて。
 爆音上映ということで当然期待していたのは、BORISのサウンドトラックでもあるのだが、冒頭イザック・ド・バンコレとアレックス・デスカスとジャン=フランソワ・ステヴナンの3人の対話で、予期していなかった音の位相のありように気づく。アレックス・デスカスの言葉を英語に翻訳して反復するステヴナン。そこでセンターから聞こえてくる彼らの声が遙か遠くから聞こえてくるような錯覚に陥る。彼らの話を注意して聞いてはいるのだが、両サイドのスピーカーから聞こえてくる、言葉の塊を為すほど明瞭になる前に浮かんでは消えるざわめきの中に聞いている私がずぶずぶと埋まっていくような感じだ。中央よりやや左よりに座った私は、物理的にセンタースピーカーよりレフトのスピーカーの方が距離が近かったが、この感じはそのせいだけではないだろう。初見ではないので注意深く字幕を追うことなどやめた。そこで気づいた。ド・バンコレは私たちを旅に連れ出してくれるツアーガイドではないし、これから先目にするもの耳にするものは、ド・バンコレの感覚を通じて私たちに届けられるものなどではないのだと。
 ド・バンコレと彼が出会う人々は目に見えない力で結びつけられている。目に見える力などないのだから、ただ力で結ばれていると言えばいい。科学的、哲学的、音楽的、映画的、絵画的、幻覚的、ボヘミアン的なその力のサイクルの中にたやすく加わっていくことなどできない。ド・バンコレの留まるホテルの中には、窓を開け放っていたとしても、締め切っていたとしても、同じ大きさで外の街の音が入り込んでくるだろう。あるいはバルコニーで、向かいの建物の窓に見知った女の姿が現れ消えていくのを見つめたカメラが、そのままワンカットでド・バンコレの横顔を映し出す以上、私たちが彼と同じものを見た確証はなにもない。彼らと私たちの間には壁がある。通り抜けられない壁だ。そして通り抜けられない壁を通過するために必要なものを私たちは教えられている。想像力とスキル。
 『リミッツ・オブ・コントロール』に登場する人物たちは、力によってジャームッシュの人生と結びつけられてもいる人々だ。この力はここには姿を現さない、もっと多くの人々を結びつけている、そしてその結びつきによって生まれたものでもある。3月発売のnobody issue33に掲載予定のフィリップ・アズーリによるジム・ジャームッシュのインタヴューで、ジャームッシュはここには姿を現さないがこの力に連なる者たちについて言葉を紡いでいる。la vida no vale nada。人生には意味なんてないという言葉は、ジャームッシュとジョー・ストラマーの間に横たわっている言葉だ。だとすれば、私が欲しいのは、意味や価値ではなく、力だ。


爆音ナイト傑作選2009。『リミッツ・オブ・コントロール』は23日(火)まで。