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October 18, 2010

『セゾン文化は何を夢みた』永江朗
梅本洋一

[ book ]

 辻井喬と上野千鶴子の対談本『ポスト消費社会のゆくえ』について書いたとき、ぼくは、「堤清二=辻井喬は「私の失敗でした」を片づけることが本書では多いけれど、その時代の検証は、まだまだこれからの作業であることはまちがいないだろう」と書評を結んだ。永江朗による労作『セゾン文化は何を夢みた』は、その「検証」の大きな成果のひとつだ。なにせ永江は、西武デパートの上層階にあった書店に勤務したし、その後の、彼の文章を読む限り、セゾン文化の「検証」には、うってつけの人材だろう。(そういえば、東京新聞で、この本を書評していたのは八木忠栄氏であり、彼の書評には、まったくそんなことには触れていなかったが、八木さんは詩人であるばかりではなく、ある時期のスタジオ200のディレクターだった。)
 この本は、西武文化事業部を率いた紀国憲一、西武ブックセンターの中村文孝、アール・ヴィヴァンの芦野公昭、セゾン美術館長だった難波英夫、無印を生んだ小池一子、「セゾンの子ども」小沼純一、そして堤清二のインタヴューをもとに論考を加えた構成になっている。読後感を一言で書けば、「時代が過ぎ去った」と溜息をつくしかない。堤清二が外からは計り知れない近親憎悪を持っている堤義明が残したものも、そして清二が残したものも、今やぼくらの時代に合致するものはないだろう。渋谷の西武デパートは閑古鳥が鳴き、公園通りのパルコにも、109の賑わいはない。かつて演劇の分野でセゾン文化が残したものの多くは、昔に比べれば「潤沢」になった補助金によって地方公共団体に受け継がれ、三軒茶屋や静岡や仙台や埼玉といった場所で運営されている。セゾン美術館的なるものは、六本木ヒルズの森美術館に受け継がれているようだ(経営者の姓を冠する美術館はちょっと傲慢な気がするが、西武美術館=セゾン美術館が堤美術館でなかったのは、そこに同じ姓を持つ異母弟への憎悪からだろうか)が、リーマン・ショック後、森コーポレーションの行く手にも暗雲が立ちこめているようだ。リブロにしても普通の本屋になり、リブロの精神を受け継いでいたか見えるABCブックセンターも何度も困難に直面し、すっかり客足が遠のいているようだ。シネセゾンが輸入していた類の映画を輸入する業者はすでになく、ヨーロッパ映画の新作を東京で見ることは困難になっている。WAVEの店員の多くはタワーレコードに移ったが、そこでCDを物色している人は多くないし、周知のようにHMV渋谷店は閉店した。「そして何もなくなった」というのが2010年の現実だ。また、若者は、プリンスホテルのプールでデートもしないし、苗場スキー場にも行かない。数年前の夏、志賀高原プリンスホテルの前を通ったが、まるで廃墟だった。まあ西武鉄道だけは、今でも動いているが。
 永江はあとがきで「セゾン文化の歴史は、「文化事業の論理」が、「企業の論理」に挑戦し、敗北していく歴史だった」と書いている。だが、西武デパートを歩いてみると、「文化事業の論理」が敗北した瞬間に、「企業の論理」も同時に敗北してしまったように感じられる。世界の名だたるブティックが入店している階は、店員の方が客よりもずっと多いだろう。アルマーニだって、ディオールだって、プラダだって、西武デパートではなく、表参道他のフラッグシップ・ショップで買う時代が来ているからだ。セゾン・グループの「文化事業の論理」が敗北した頃、デパートに託されていた神話的な力も解体してしまった。伊勢丹だってけっこう苦戦しているようだ。
 つまり、こういうことが言えるのではないか。「セゾン文化の夢」を共有する者は今や誰もいない。その夢が、もう時代にそぐわないからだ。だが、実は、それは、とても哀しいことで、辛いことかもしれない。「セゾン文化」は、同時代のぼくらの外側にあった別の価値を伝えてくれた(「おいしい生活」「不思議、大好き。」)けれども、今、時代の空間や時間の「外側」に関心を持つ人がいなくなってしまった。空間も時間も縮減されて、外国や歴史に関心を持つ人たちがすごく減ってしまった。佐々木敦や阿部和重みたいな才能を生むにはとても困難な時代になっていることは確かだ。