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May 8, 2011

多木浩二追悼
梅本洋一

[ book ]

 新聞では震災や原発関連の記事ばかり読んでいたので、多木浩二さんが亡くなった記事を読み落としていた。さっき本屋で「新建築」を立ち読みしていたら、多木浩二さんが亡くなったという記事を見つけた。享年82歳とあった。
 多木さんとは、『ベルリン:芸術と社会1910-1933』(E・ロータース、岩波書店、1995年)という翻訳書で一度だけお仕事を一緒にさせていただいた。お目にかかったのは、その仕事でお会いした数度だけだ。お会いしたときも、その書物に内容や翻訳の進め方等プラクティカルなことばかりお話しして、多木さんといろいろなことを議論した体験はない。でも、ほんとうはもっといろいろなことをお話ししたかった。
 ぼくが多木さんの本を初めて読んだのは、『眼の隠喩──視線の現象学』(82年、青土社)からだ。もちろん「ユリイカ」などで多木さんの文章は読んでいたが、まとまった本となると『眼の隠喩』が最初だ。すごく勉強になった。フランス第二帝政期前後の写真を中心にした視覚の発見とメディアの誕生、そして都市の誕生にいたる興味深い世界が的確な文章で綴られていたからだ。その時代のことは、同じ頃『物語批判序説』を書いていた蓮實重彦への興味とも接続された。(ふたりは、後に「ユリイカ」のベンヤミン特集のシンポジウムで語り、意気投合したようだ。)その本を読んで、多木さんご自身に興味を持ったぼくは(そのこと多木さんのご子息の陽介さんと知り合ったこともあったが)、多木さんがすでに1955年に「井上長太郎論」で「美術批評賞」を獲っていたことや、森山大道たちと「Provoke」の同人だったことを知ったし、陽介さんから「父が本当に興味を持っていたのは、建築なんですよ」と教えられて、『生きられた家』を読んで感動した。
 多木さんは、もの凄いスピードでたくさん本を書いた。ぼくは、多木さんの速度に追いつけないこともあったけれど、多木さんの本が出版される度に、とりあえずそれらを買い求め、机の上に置いておいた。そして、それらは、買った直後ばかりではなく、いつか必ず、ぼくが考えることの指針になっていった。多木さんがすごいのは、スピードや目配りばかりではない。多木さんは、大学という制度はあまり信じていなかったと思うけれども、多木さんの本は、大学人のアカデミズム崇拝からは極めて遠いところにあった。坂本一成への評価を始め、アカデミズムよりも実作者に近い場所にポジションを取り、その作品に然るべき言葉を与えることで、実作者を評価していった。まさに批評家の見本だ。そして同じ態度を歴史に対しても保持していた。ひたすら文献に偏る歴史家に対して、歴史の表層に現れる現象について着目することから思考をスタートしていく姿勢には、いつも眼を見張らされた。多木さんの本は一見まとまりに欠けるように見えるけれど、その思考のプロセスそのものを体現していた。