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May 14, 2011

『HOSO NOVA』細野晴臣
梅本洋一

[ music ]

 この間、ぼくの家の側でタクシーを待っている高橋幸広を見かけた。そうだ、もうすぐ『HOSO NOVA』の発売だ、とそのとき思った。YMOのつながり。そういえば最近、細野さん、ラジオに出まくり。キャンペーンも飄々とこなしている。細野さんらしい。渋谷を通りかかったので、駅前のTSUTAYAで探したら、もう売り切れ。しょうがないので、タワレコへ。もう最後の2枚ぐらいだった。ジャケットのモノクロの写真もいいけれども、歌詞カードがついている小冊子の冒頭に細野さんが写っている、おそらく軽井沢の万平ホテルのカフェで寛いでいる細野さんの写真も格好いい。それぞれの楽曲に付された数行の解説も良い。
 さっそく聴いてみた。すごく良い。いつものようにそれぞれの音がしっかり聞き取れる「手数の少なさ」が良い。「いつものように」と書いたけど、細野さんのソロアルバムは、ずいぶん久しぶりだ。でも、ぼくらが細野さんの不在をまったく感じないのは、サポーティング・ミュージシャンとして、2列目ぐらいでベースをゆったり弾いている細野さんをいろいろな場所で見かけるからだ。そして、いつも「手数が少ない」。「手数が少ない」というのは、絶対的な誉め言葉だ。ギタリストなら「超絶技法」を見せる趣味の悪い奴もいるが、細野さんのベースは、いつも聞こえている。一音一音がしっかり聞こえてきて、それぞれの音が素敵だ。
 以来、通勤のクルマの中で、そして仕事中のずっと『HOSO NOVA』を聴き続けている。さっき「手数の少ない」ことの価値について書いたけれども、「手数が少ない」からこそ、それぞれの楽曲がとても大事にされていることを感じる。ゆったりとメロディーラインが聞こえてくる。それが良い。良いところだらけなのだが、一番、気に入っているのは、選曲だ。
 オリジナルが半分。そしてカヴァーが半分。一曲目の『ラモナ』はオリジナルだが、2曲目の『スマイル』(例のチャップリンのやつ)にもぜんぜん違和感なく入っていける。作曲家・細野晴臣については論を待たないが、カヴァー曲を選ぶときの彼の趣味の良さは何だろう? オリジナルの『バナナ追分』──美空ひばりの『リンゴ追分』に対抗!──の次に、何とホーギー・カーマイケルとジョニー・マーサーの『レイジー・ボーン』がすんなり入っている。ラグタイムの素敵な曲だ。ホーギー・カーマイケルもジョニー・マーサーも大好きなぼくにはもうたまらない。ラストを飾るのはプレスリーの『ラヴ・ミー』。和むなあ。