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September 21, 2011

ラグビーW杯2011──(3)トンガ対ジャパン 31-18
梅本洋一

[ cinema , sports ]

 もう誰かが正直に書いてもよい頃だろう。結果論なら誰にでも書けるよと言われるだろう。確かに結果は上記の通りだ。ノルマは最低2勝。相手はトンガとカナダ。そしてゲームを見た者なら誰にでも分かるとおり、まったく勝つ気配が感じられなかった。選手たちは頑張っているのだろうが、このやり方では勝てないとゲームを見ている者は確信してしまう。さらに、この4年と少しの間、W杯で2勝すると豪語し続けたのだから、それなりの方法が存在するのだろう、と勝手に思い込んでいた。そして、残念ながら、ジャパンのヘッドコーチには勝つための「種も仕掛けも」存在しなかった。つまりジョン・カーワン氏は、ジャパンのヘッドコーチとしては失格だということだ。
 ラグビーというスポーツは、柔道やボクシングのように階級がないから、より小さい側は最初からサイズのハンディを覚悟しなくてはならない。そのハンディを克服するために、コーチは勝つための戦術を創造し、そのために選手たちをセレクションし、選手たちはその戦術のために速度やスキルを磨く。このゲームのキックオフ前のインタヴューで、ジャパンのヘッドコーチはたどたどしい日本語で、「トンガはゆっくり、ジャパンははやく。どっちが勝つか分かるね」と言っていた。ジャパンはキックオフ直後確かにゲームに速度を持ち込もうとしたが、アンフォーストエラーの山。早いラックを連取することで、トンガを走力勝負に持ち込もうとしたのだろうが、ラックを連取するどころか、ラックでターンオーヴァーを喰らう始末。そしてコンヴァージョンは入らず、ライン攻撃ではノックオン、さらに不用意なキックでカウンターを喰らう。「ジャパンははやく」なんてないのだ。早くしたくともそのために熟成されたスキルがないのだ。ワラビーズに勝ったアイルランドのように戦術を単純なところに落とし込んで意思統一して戦う準備も出来ていない。つまりしっかりと準備が出来ていない。コーチの責任である。
 対するトンガは、オールブラックスにもときには匹敵するパワーを持ち、サイズと腕力にも恵まれているから、ラックとスクラムで勝負してきた。あとは、かなり自信を持っているSOのキックで点を重ねていく。ブレイクダウンでコンテストして、セットピースに全力で当たる。前後半ともトンガはスタイルを変えなかったし、変える必要もなかった。
 かつてのジャパンは、ラインのスピードは勝負になるので、FW陣がいかに生きたボールを供給するかに勝負を賭けていた。だからフッカーはダイレクトフッキングが出来た。SFの球捌きは素早かった。そしてサイズの差が今より歴然とあったので、敵に走られながら繋がれると勝機を失するので、徹底したシャローで走られる前に倒すことになっていた。そして第3列とハーフ団は、ディフェンスラインから零れてくるボールにプレッシャーをかけるべく誰よりも早く2線防御に走っていた。アタックにあっては、両センターがFBを絡めて、極めて狭いゾーンでパス交換し、ディフェンスラインをずらし、仕留めるのは両ウィングだった
 こんなことを書いていると、71年の秩父宮の対イングランド戦、79年のトゥールーズの対フランス戦、そして83年のアームズパークの対ウェールズ戦と、いろいろなシーンが目に浮かんできてぼくも歳を取ったと思う。今回のW杯、対オールブラックス戦でも対トンガ戦でも、そうした往時の第3列を思い出せてくれるのはマイケル・リーチだ。彼の獅子奮迅の、そして孤独な闘いを見ると目頭が熱くなる。そんなジャパンの伝統が生きていたのは、80年代の中葉までで、W杯が始まった87年にはもうジャパンはジャパンではなくなっていた。確かに昔と比べてラグビーも変わった。ルールも変わった。ディフェンスの方法も変わった。でも、サイズのハンディを最初から背負わなければならないジャパンの立ち位置は変わらない。真のリアリズムとは、相手を入念に分析した上で、最終的に勝利を得るまでの綿密なシナリオを書き、それをゲームで十戦してみせることではないか。