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September 28, 2011

『宣戦布告』ヴァレリー・ドンゼッリ
高木佑介

[ cinema , cinema ]

「この世界は素晴らしい。戦う価値がある」と言ったのはヘミングウェイだった。「その後半の部分には賛成だ」と言ったのは、『セブン』のモーガン・フリーマンだった。そして、戦い疲れた元ボクサー役の彼がナレーションを務めた映画で、戦う女ボクサーにイーストウッドが投げかけた言葉は、“Tough is not enough”だった。いつか耳にしたそんな言葉をあれこれと思い返しつつ、遅ればせながら、先日の東京日仏学院「カイエ週間」で上映されたヴァレリー・ドンゼッリの『宣戦布告』(原題:La guerre est déclarée)について。


 物語は至極単純で、重い病気であることが判明した赤ん坊の両親が、その困難をどのように乗り越えていくのかが語られる。ただそれだけ。言ってみれば、どこにでもありそうな「難病もの」のお話だろう。しかし、この映画に出会えたことが素直に嬉しい。というのも、この映画が描こうとしているのが、人々の同情や共感を誘うような「お涙頂戴」的な感傷であったり、ある家族が背負った不幸の露骨な表現であったりでは決してなく、ごく単純に、「強く」あること、「強く」生きて戦い続けること、ただそれのみを描いているからだ。
 こう言ってしまうとまるでこの映画が、やみくもな人間讃歌やマッチョな何かを志向しているかのように思われてしまうかもしれないが、そうではない。たしかに、この物語が監督のヴァレリー・ドンゼッリとその旦那のジェレミー・エルカイム――主演のふたりだ――と彼らの実子の、実際の経験に基づいているという事実は、「リアル」な説得力と正当性を作品に加味しているとは言える。まるでこの映画が作られたこと自体が、自分たちの苦しかった経験を語ってみせる彼らの「強さ」の証左であり、真実の物語であるからこそ、この映画は価値があるのだと言わんばかりに。とはいえ、そのような予備的な前情報を知っていようが知っていまいが、この映画を一目でも見れば、堂々たる一本の「映画」の力強い躍動を誰しもが感じ取ることだろう。そして、軽やかさと深刻さが合わさったその躍動感を生み出している主演のカップル――ドンゼッリとエルカイム――の立ち振る舞いや掛け合いを見ていると、どこまでも前向きな風通しの良さのようなものが感じられ、それこそがこのフィルムの魅力となっているのだと確信できてしまう。つまり、困難と向き合いながら、ただただ「強く」戦い続けること。もちろん、そのポジティヴさの根本には、彼らに訪れた不幸に対しての暗さであるとか、悲観といったものがたしかにあるのだが、そういった後ろ向きな部分を克服し、止揚することでしか得られないような、力強い前向きさをこの映画は晴れやかに獲得している。ひとつのフィクションとして、一本の映画として、この作品が体現しているエモーショナルな起伏と、それを生み出している軽やかで力強い台詞や演出は、本当に素晴らしいものだ。こういう新鮮な活力が溢れる映画には、なかなか出会えるものではない。「困難は必ず乗り越えられる」とか、「強く生きよう」とか、普通に聞けば何の重みもありがたみもない台詞のひとつひとつが、こうも感動的に聞こえてくるのはいったい何故だろうか。死の瀬戸際で闘っているのは当の子供のほうであって、私たち観客はと言えば、客席にただ座って傍観しているだけにすぎないのだけれど、ふと気がつくと、医者が重い表情で語る言葉に両親たちと共に注意深く耳を傾け、彼らと共に手術の結果をじれったく待ちながら一喜一憂しているのはいったい何故だろうか。“Tough is not enough”――この言葉をひとつの真実としてたしかに信じることができる一方で、同時に、この映画が見せてくれる前向きな「強さ」をどうやったらいまこの世界で生きることができるのか、真剣に考えている自分がいる。
 おそらくこの映画は、クソッタレで気まぐれなこの世界がひた隠しているに違いない、おぼろげな、本当に漠とした、あるひとつの真実を私たちに提示してくれている。それは、どうにかこうにか「強く」生きようとしている者だけが、タフであるだけでは十分ではないと知りつつも戦い続けている者だけが、つかの間の幸福(のようなもの)に触れることができる――そのような、実際のところはどうなのか知る由もない、穴だらけで曖昧な真実である。しかし、スローモーションによって引き延ばされる、波打ち際で戯れる家族の姿をとらえたこの映画のラスト・シーンを見てみよう。無意味なまでに引き延ばされる、その時間その光景。あるいはそれは、戦い続ける者たちにつかの間の幸福(のようなもの)が訪れた、まさしくかけがえのない瞬間だったのかもしれないのだ。もちろん、幸福なんてものは、たとえあったとしてもさっと逃げ去るもので、すぐにまた新たな困難がやってくるのは目に見えている。だが少なくとも、この映画を見ると、ぶつかってくる困難と向き合い、戦い続ける気力が湧いてくるのである。前置きが長くなってしまったが、その一言だけをここで言いたかった。