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April 23, 2013

『グッバイ・ファーストラブ』ミア・ハンセン=ラブ
中村修吾

[ cinema ]

 ノースリーブのワンピースを着た女性が、麦わら帽子を被り、木の杖を手に持ち、木々の葉や草の美しい緑に囲まれた道を歩いている。傍らには誰もおらず、彼女はひとりで川へと向かっている。あたりの風景には、空から南仏の明るい陽光が降り注いでいる。
 自転車での走行や街中での歩行や部屋の中での移動といった、フレームの中の空間を動く人物を捉えたショットが多いミア・ハンセン=ラブの『グッバイ・ファーストラブ』において、終盤近くに収められた、主人公の女性がひとりで川へ向かって歩いているショットは強く印象に残る。
記憶は、空間と結びついて作られる。家族が所有する別荘が南仏にある彼女は、15歳の夏にも初恋の相手とともにその別荘を訪れている。また、その年の冬に別荘で過ごしている間に、南米に旅立った彼から長く続けられていた手紙での通信によって別れを告げられる。彼女にとって、南仏の別荘という空間は、長い年月の間に経験する幾つかの出来事をめぐる忘れ難い記憶と結びついている。2007年の夏に川へ向かって歩く彼女が被っていた麦わら帽子はかつて初恋の相手からもらったものだが、その麦わら帽子が壁に掛けられていたのもこの別荘だ。
 草原地帯の斜面を上がった先に位置し、周囲を高い木々に囲まれた別荘の外観が捉えられたショットが何度かこのフィルムには挿入されている。ベルリンにあるミース・ファン・デル・ローエの国立近代美術館、デッサウにあるヴァルター・グロピウスのバウハウス校舎やマイスター・ジードルング、コペンハーゲンにあるルイジアナ近代美術館といった建築の外観が移動撮影によって僅かにかすめながら捉えられていたし、パリの街中でも建物の外観がはっきりと捉えられることはないのに対し、南仏の別荘は例外的に固定ショットで外観の全景が捉えられている。主人公の記憶と濃い関係を持つこの別荘とその近隣の土地は、このフィルムにおいて特別な位置を占めている。
 『グッバイ・ファーストラブ』は、空間と記憶の関係についての示唆に富んだフィルムだ。初恋の相手と別れた後に建築を学ぶことになる主人公は、建築に対する興味を持ったきっかけを問われ、空間の言語を理解してみたかったからだと答える。建築家である教師は、学生たちを集めたゼミで、安藤忠雄のテクストを配りながら、空間における闇と記憶の重要性について話す。
 主人公を演じたローラ・クレトンは撮影された時点では16歳だったというが、1999年から2007年という長い期間に渡って、15歳から23歳までのそれぞれの時点で変化する主人公を演じている。傍らに恋人がいなければ不安げに見えた1999年の時点で高校生だった彼女は、建築学生となった2003年にはどことなく内向的で固く殻に閉じこもったようになり、建築家の事務所で働くようになった2007年では建築現場で年長の現場責任者に対して図面通りに行うよう工事のやり直しを厳しく指示するようになっている。
ダクトを入れた柱によって窓が十分に開けられなくなっていることに気付いて彼女は図面と施工とのズレを正すように指示するのだが、窓によって室内に自然光を取り入れることが重要なのと同じように、このフィルムにとって光は重要なものだ。南仏の別荘の2階にある寝室でも窓から柔らかい自然光が招き入れられているし、主人公が建築模型に囲まれて暮らす下宿先の部屋でも窓から光が室内に注ぎ込んでいる。のちに主人公のパートナーとなる年長の建築家は空間における闇と記憶についてゼミで話していたが、光もまた記憶と関係を持つ。南仏やコペンハーゲンに近いカストラップのビーチで陽光を浴びながら、主人公は幸福な記憶を作ることとなる。一方、美しい陽光が空から差してくることのない冬や、雪や雨の降る日に、彼女は辛い出来事ばかり経験している。――ペーター・ツムトアは風景と光について、「個人の抱くさまざまな風景。憧れ、人を喪った悲しみ、静けさ、歓喜、孤独、安心、醜さ、傲慢、誘惑などの心象や風景。私の記憶のなかでは、どれもがそれぞれに固有な光をおびている」(「風景のなかの光」『建築を考える』)と述べている。――主人公が選択した建築家という職業にしても、初恋の相手が選択した写真家という職業にしても、どちらも光と空間を扱う職業だ。
 長い期間に渡る人物の変化を描いた映画というと、ミア・ハンセン=ラブ自身が10代の頃に出演していたオリヴィエ・アサイヤスの『8月の終わり、9月の初め』やアルノー・デプレシャンの『そして僕は恋をする』が思い浮かぶ。そして、それぞれが異なる仕方で人物の変化を描き出していることに気が付く。『8月の終わり、9月の初め』では、ゆったりと考える暇を作らせないかのように早い速度で進んでいく時間の流れが人物たちを変化させていた。また、『そして僕は恋をする』では、人間同士の痛々しいような擦れ合いによって人物たちが変化していく姿が捉えられていた。これらに対し、『グッバイ・ファーストラブ』は、初恋という出来事とは切り離すことが出来ない空間と記憶との関係を編み直すことによって人物が変化していく姿を捉えている。
 このフィルムにおいて主人公が経験するのは、困難を克服して何かを達成するまでの過程ではなく、同じ場所を複数回に渡って訪れる間に変化していく過程だ。南仏の別荘という空間で過ごす彼女のたたずまいは、それぞれの時点で変化する。また、彼女が空間とのあいだで作る関係も変化する。人が生きていくということは同じ場所を何度も訪れることなのかもしれない。そして、同じ場所を何度も訪れることによって、人は時間が流れたことに伴う変化を感じ取るのかもしれない。このフィルムは、人が空間と記憶とのあいだでどのような関係を作るかについて教えてくれる。
 ミア・ハンセン=ラブの前作『あの夏の子供たち』も、少女が変化していく姿を捉え、記憶と結びついた空間を捉えたフィルムだった。梅本洋一さんは、『あの夏の子供たち』について、「残された家族ばかりではなく、多くの人々がこのフィルムを横切っていく。それぞれの人生を抱えたまま」と書いている。『あの夏の子供たち』と同じように、『グッバイ・ファーストラブ』も人生を映し出すフィルムだ。南仏の別荘の近くを流れる川は、1999年の時点でも2007年の時点でも、同じように緩やかに流れている。川の水が流れるように、時間も流れ過ぎていく。しかし、空間が流れ去っていくことはない。また、たとえ記憶と結びついた物が川に流されていったとしても、それで記憶がなくなるわけではない。


渋谷イメージフォーラムにて公開中