« previous | メイン | next »

October 1, 2014

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』ジェームズ・ガン
常川拓也

[ cinema ]

赤い革ジャンを着て、フェイス・マスクを装着しジェット・ブーツで悠々と空を舞う、そんな『ロケッティア』を想起させるフォルムを持ったピーター・クイル(クリス・プラット)は30過ぎではあるけれど、子どもである。そもそも誰もそう呼ばないのに自らを「スター・ロード(星の支配者)」と名乗るなんて、ただの中学生男子じゃないか? 彼が子どもであることを象徴するアイテムは、死んだ母からもらったカセットテープ「Awesome Mix, Vol.1」であり、母が死んだその時から、彼の時間は止まったままだ。その彼が精神的に大人になっていく物語として構成することもできただろうが、しかし『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』に好感が持てるのは、彼の精神的な成長など描く気が微塵もないからだ。宇宙の運命を左右するパワーストーンを盗みだす危険な場面であるにもかかわらずウォークマンの音に合わせてノリノリで(トカゲを蹴っ飛ばしながら)ステップを踏む序盤から、窮地の淵で突然歌い踊りだす終盤まで、ピーターは「Awesome Mix, Vol.1」を手放すことなく、子どものままで余裕ぶっこいている。その余裕ぶっこいた青臭さは、純粋で美しい。
縦横無尽に駆ける身軽さ、はずむ会話の軽快さ、おちゃらけてのびのびしたふるまいは余裕感を生みだしているように思う。そのムードは伝播する。ガーディアンズの面々に(ひとりだけで踊っていた「Awesome Mix, Vol.1」そして「Vol.2」はみんなのものになっていく)、そして観客ひとりひとりに。まるで子どもの夢がどこまでも広がっていくように。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』には映画を観るという経験の快感や快楽があるが、それはパワーストーンすらもポンポンともてあそびながら世界と戯れる、そんな童心と私たちは触れ合っているからであるのではないか。内に籠っていた音楽が初めて外の世界に鳴り響いた時に調子よく身体を揺らす姿、余裕ぶったそれは不可能を可能に変えてくれるんじゃないかというポジティブな心境、ヒーローへのロマンを私たちに抱かせてくれる。ピーターは子どものままだからこそ、知っているのだ。歌うことや踊ること、そういった原始的な生の行為が、「ケツの穴の小さい」世界に対抗しうる行為であることを。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー公式サイト