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May 24, 2015

カンヌ国際映画祭2015リポート Vol.02 
槻舘南菜子

[ cinema ]

5月14日
今朝は監督週間の開幕上映作品、フィリップ・ガレルの新作『L'ombre des femmes』+『Actua I』からスタート。
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『Actua I』は当時のゴーモンやパテによるニュース映画批判として、68年5月ザンジバールのメンバーとともに撮影されたが、長年消失されたとされていた作品だ。昨年シネマテーク・フランセーズにより修復され、パリの短編映画祭 Côté court を皮切りに上映がはじまり、リスボンでのレトロスペクティヴを経てカンヌで特別上映されることになった。かつてフィリップ・ガレルはインタヴューで、68年5月を舞台とした『恋人たちの失われた革命』において、『Actua I』の記憶を辿りながらポンヌフの橋に整列する機動隊のシーンを撮影したと話していたが、そのワンシーンは恐ろしいほどに酷似している。ニコ、ジーン・セバーグ、モーリス・ガレル。彼とともに生きた人々、そしてそれらの過去はインスピレーションの源であって映画とは別の現実だとはわかっているにも関わらず、時間と空間を越えたこの相似は彼にとっての「再現」とは何なのかを考えさせずにはいられない。
『L'ombre des femmes』では、スタニスラス・メアール演じる映画監督がかつての革命の闘志についてのドキュメンタリーを制作する過程とともに、妻(クロチルド・クロー)と愛人(レナ・ポガム)との三角関係を主題とされたことが『救助の接吻』を彷彿とさせる。ただ今回はジャン=クロード・カリエールが脚本に関わったことで、フィリップ・ガレル特有の詩性、あるいは夢の要素が削ぎ落とされより現実的になったようだ。かつてのような音楽と映像のズレや関係性のズレはもはや存在せず、より軽くさらにシンプルな作品となり、強烈なイメージの力は失われてしまったようにも見える。老いと言えば聞こえはいいかもしれないが、処女長編『記憶のためのマリー』から反動の人であった彼には、『灼熱の肌』のように挑発的な映画史を揺るがすような作品をもっと撮ってもらいたい。彼のファンとしては『ジェラシー』から引き続き物足りなさを感じてしまった。ただ、ここ数年のインタヴューでたびたびガレル自身が語っている、2011年以後、経済的な問題が作品を変えた、あるいは変わらざるえなかったという言葉を忘れてはならないだろう。映画に現実が引きずられるのではなく、現実に映画が引きずられている。「危機」というものが主題のみならず、作品自体にまで忍び寄り影響を及ぼされているのだとも言えるかもしれない。


その後は11時半から批評家週間でAndrew Cividino『Sleeping Giant』。思春期の少年のグループの冒険を描く『スタンド・バイ・ミー』風の作品。この部門にありがちな端正には出来ているけれど、驚きがないタイプの処女作だった。
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続いて14時半よりある視点部門でルーマニア映画、Radu Muntean 『Un Etaj Mai Jos』。アパートの階下で起こった殺人事件の容疑者を偶然知ってしまった男が家族を守ろうとするのだが、決定的な何かが起こるわけではなく淡々とした日常が続き、そのリズムがほとんど変わることなくラストを迎える。ルーマニア映画に精通している「カイエ・デュ・シネマ」の編集委員、イスラエル人の批評家アリエル・シュウェイザーによれば、商業的なルーマニア映画への批判を込められた作品であり、ルーマニア映画史的にはかなり重要な作品らしいが、文脈を知らなかった私にはピンとこなかった。


そのまま走って18時からのプレス上映で、コンペティション部門、Laszlo Nemes 『Saul Fia』。
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© BEA KALLÓS


長編一作目、またコンペ作の中で唯一35ミリで撮影され上映されるフィルムであるということもあって、期待していた作品だ。アウシュヴィッツ収容所での屍体処理をするユダヤ人、ゾンダー・コマンドを主人公に、カメラが執拗に彼を追いかけていく。ただしそれはあくまでカメラの視点であって、彼の見ているものと私たちの見ているものは決して同じではない。たびたび視界はぼやけ、私たちは残酷なイメージをはっきりと目の当たりにすることから回避させられる。しかし一方で、そこに映っているはずのものが何なのかを私たちは知っている。歴史の表象をめぐる野心的な作品ではあるが、過度にマニエリスティックで疲れてしまった。

その後は20:00から、広島国際映画祭のディレクター部谷京子さんが美術監督を務めた、「ある視点」部門開幕作、河瀬直美『あん』にお邪魔する。『沙羅双樹』以後の作品はあまり好きではないのだが、『あん』では彼女の出発点であるドキュメンタリー的な側面がうまく機能していたように思える。移り変わる季節の変化、実際のハンセン病患者が登場するシーン、どら焼きの「あん」を作る一連の過程が丁寧にかつ魅力的に捉えられていた。上映後は外国人の友人たちから仕切りに「どら焼き」について質問された......。その後は、部谷さんのご好意で、ちょうど到着したばかりのアンスティチュ・フランセの坂本安美さんとともにARTEの船上パーティに招待して頂く。明日からは毎朝8時半からのプレス上映に行かなくてはいけないので、早めにおいとまする。。
カンヌ国際映画祭2015