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June 26, 2016

2016年 カンヌ国際映画祭報告(2)
槻舘南菜子

[ cinema ]

「ある視点」部門
本年の「ある視点」部門にセレクションされた18本中、7本が処女作、4本は監督第2作と、例年になく新人監督がフィーチャーされたプログラムだったが、作品の出来はといえば散々たるもの。なぜセレクションされたのが理解に苦しむような作品が大半を占めたというのが正直なところだ。ただその一方で特別上映枠にアルベルト・セラ(『ルイ14世の死 La Mort de Louis XIV』)とポール・ヴェッキアリ(『劣等生 Le Cancre』)というカンヌ的な経済原則からは距離をおいたふたりの作家がノミネートされていたことは特筆すべきだろう。
ジャン=ピエール・レオーがルイ14世に扮した『ルイ14世の死』の上映時間の多くを占めるのは、ベッドの上で死にゆくルイ14世を見つめる時間だ。食べる、立ち上がる、呼吸する、眠る。私たちはレオーという俳優の肉体を介して流れる時間の強度を、そしてそこに宿る映画史を体感するかのようだ。またポール・ヴェッキアリ監督自身が主演を務めジャック・ドゥミに捧げられた『劣等生』もまた同様に死に至るまでの身体を通して、自身のフィルモグラフィから映画史そのものへと至るオマージュを捧げ描く。カンヌから二週間後のパリで、『ルイ14世の死』はジャン・ヴィゴ賞を、ポール・ヴェッキアリは名誉賞を同じ舞台で授与されることとなった。
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「公式コンペティション」部門
開幕作品のウディ・アレン『カフェ・ソサエティ Cafe society』を含め、いわゆるカンヌ常連監督たちの新作はどれも低調だったと言わざるを得ない。高校卒業試験を目の前に暴漢に襲われ精神的に傷ついてしまったひとりの娘、彼女のためにバカロレア試験の結果の改竄に奮闘するその父親を描いた『バカロレア Bacalaureat』は、いつも通りのクリスティアン・ムンジウの美学的なスタイルを貫きつつ、彼の作品の持つ厳しさがやや和らいだようにも見えた。ダルデンヌ兄弟の『見知らぬ少女 La fille inconnue』は、アデル・アネル演じる医師がひとりの少女の死への贖罪の念から調査を始めるという筋書きで、『サンドラの週末』での自身の解雇を撤回してもらうために同僚たちの家をひたすらめぐり説得をする主人公の影を背負いつつも、そこに秘められた謎は演出ではなくダイアローグによって説明されるばかりで、結末もあまりにも陳腐であった。ペドロ・アルモドバル『ジュリエッタ Julieta』はひとりの女性が数十年の時を一瞬で超えてしまうという映画的で美しい瞬間をこそ捉えていたものの、過去作品を凌駕するほどの強度はそこにない。ケン・ローチの『アイ、ダニエル・ブレイク I, Daniel Brake』もいわゆる「社会派」監督の凡庸な作品に留まっているという印象に留まる。
他方、フランスの実力は監督たちの新作も前作を更新する完成度に達していたとは言い難い。アラン・ギロディ『垂直のまま Rester Vertical』は前作『湖の見知らぬ男』と共振する部分はありながら、何もかもが前作に比べると弱く、オリヴィエ・アサイヤス『パーソナル・ショッパー Personal Shopper』はこれまでとは異なるジャンルへの挑戦を試みたが不発に終わり、前作『プティ・カンカン』のコメディ路線を引き継いだブリュノ・デュモン監督『私の道 Ma route』はブニュエルの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を思わせる瞬間もあるとはいえ完全にスベっている。ブリランテ・メンドーザ『マ・ローサ Ma'Rosa』とパク・チャヌク『マドモワゼル Mademoiselle』の2本のアジア映画はともに女性を主人公に据えた作品だが、ポール・ヴァーホーヴェンが『彼女 Elle』で描いたイザベル・ユペールの凄さからはほど遠い。
今年の傾向として室内劇の多さは特筆すべき点だろう。ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥ、マリオン・コティアール、ナタリー・バイ、ヴァンサン・カッセルといった豪華キャストで固められたグザヴィエ・ドランの『まさに世界の終り Juste la fin du monde』は、エイズに侵された主人公(ギャスパー・ウリエル)が数年ぶりに自宅を訪れるところから始まり、ほぼすべての時間は家族間に犇めく憎悪を罵り合う俳優のクロースアップで構成されている。しかし前作『Mommy/マミー』ほどの過剰な演出はないとはいえ、それらはあくまで演じられたヒステリーという印象にしかたどり着かない。その一方で、クリスティ・プイユ監督『Sierranevada』はクリスマスの一夜を過ごす家族を被写体に、2時間40分のうちほとんどの時間を室内で展開させる。空間の捉え方は見事としか言いようがなく、長回しの多様と会話の切り返しによる撮影が緊張感を高めるというルーマニア映画のスタイルを見事に踏襲した作品だ。また、カップルを巡る小さな世界をミニマムに端正に描いたジム・ジャームッシュ『パターソン Paterson』や、アパートの一室で起こった悲劇と「セールスマンの死」の上演が見事に交錯するアスガー・ファルハディ『セールスマン Forushande』、アパートの立ち退きという個人的な問題を主題にしつつ我々の生活に巣食う資本主義を痛烈に批判したクレベール・メンドンツァ・フィリョの『アクエリアス Aquarius』は強く記憶に残った。肌の色と土地に縛られるカップルをシンプルだが骨太の演出で描いた、ジェフ・ニコルズ監督『ラヴィング Loving』も忘れてはならないだろう。
最後に記しておくべきは、妙齢の娘と父親の関係をめぐって誰もが抱える人生の不安と困難をコメディタッチで描いた傑作『トニ・エルトマン Toni Erdmann』のマーレン・アーデの無冠だろう。この作品を無視してケン・ローチへと2度目のパルムドールを与えたジル・ジャコブ以後のカンヌにおける「評価」とは、本年の結果だけでなく昨年のジャック・オディアール『ディーパンの闘い』の勝利が象徴しているように、物語と主題が示すわかりやすい「社会」に対して与えられるものであって、決して映画の美学的な側面が問われていないことがはっきりと表明されているのだと思える。

ウディ・アレン『Café Society』★
クリスティ・プイウ『Sierranevada』★
ブリュノ・デュモン『Ma route』×
ケン・ローチ『I, Daniel Blake』×
パク・チャヌク『Mademoiselle』×
マーレン・アーデ『Toni Erdmann』★★★★
ニコル・ガルシア『Mal de pierres』×
アンドレア・アーノルド『American Honey』★
ジェフ・ニコルズ『Loving』★★
ジム・ジャームッシュ『Paterson』★★
ペドロ・アルモドバル『Julieta』★
オリヴィエ・アサイヤス『Personal Shopper』★
クレバー・メンドーサ・フィルホ『Aquarius』★★★
ジャン=ピエール リュック・ダルデンヌ『La fille inconnue』×
ブリランテ・メンドーサ『Ma'Rosa』★
クリスチャン・ムンジウ『Bacalaureat』★
グザヴィエ・ドラン『Juste la fin du monde』×
ショーン・ペン『The Last face』×
ニコラ・ウィンディング・レフン『The Neon Demon』×
ポール・ヴァーホーヴェン『Elle』★★★
アスガー・ファルハディ『Forushande』★★

第69回カンヌ国際映画祭