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February 15, 2018

『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』 ジェームズ・グレイ
結城秀勇

[ cinema ]

1906年、英国軍人パーシー・フォーセット(チャーリー・ハナム)は、アマゾン流域ブラジル・ボリビア間国境の測量の仕事を引き受ける。それは高騰するゴムの利権が絡む政治的な駆け引きのためでもあるが、一方で、自らの家系にかけられた汚名をそそぐために彼個人が社会的な名声="勲章"を必要としているという理由からでもある。当然のごとく待ち受ける幾つもの危険の先で、彼は無事川の源流へと辿り着き、測量を終える。だが、そこで彼は地面に散らばる無数の石器と木に刻まれた人の顔の彫刻を目にし、前人未到の地かと思われたその場所は、かつて巨大な文明が栄えていた土地であったはずだという確信を得る。
それが『ロスト・シティZ』の中盤までのあらすじである。だが、フォーセットがその後さらに2度にもわたりアマゾンへ向かう理由がこれで十分に説明できているのだろうか。たしかに彼の"勲章"への思いーーそれが具体的になんなのかは語られないものの、彼の父親かはたまた祖先かがおこしたなにかが、彼が「上流社会」へ昇ることを阻んでいるーーと、西洋社会が下等として見下すアマゾン流域の原住民たちも西洋に劣らぬ文明を持っていたという事実の究明とは、深いところでリンクするものではあるだろう(さらに言えば、フォーセットの妻ニーナ(シエナ・ミラー)は男女の同権を強く主張する)。フォーセットは、彼の発見を馬鹿げたことだとあざ笑う聴衆に向かって次のようなことを言い放つ。われわれが「緑の砂漠」だとみなしているアマゾンにも、われわれが持つのと同等の"光"があったのだ、と。だが観客は、こう思いはしないだろうか。あの川の源流で、黒いジャガーに追い払われるまでの束の間に、彼は土器の破片やよくわからぬ彫刻の中にいったいどんな"光"を見たというのか?と。
ジェームズ・グレイはフォーセットという人物を、世間の無理解など意にも介さない狂信的な人物としては描いていない。というかこの映画では、信じるということがほとんど問題になっていないと思う。フォーセットはただ見る人である。だから第一次大戦の塹壕でなぜかそこにいる占い師と話したときにも、失われた古代都市にいる自分のイメージを見ることができる。彼は周囲の無理解にも関わらず古代都市の存在を信じ続けたということなのではない。彼はすでに見たのだ。それが後に実際に手にする"勲章"よりも重要ななにかを、"光"のほうに付け加えた。彼が実際に見たのは、石器や彫刻、2度目に訪れた際の巨大な石壁にびっしりと彫り込まれた人の顔といった、"光"それ自体の微かな反映としか呼べないものだったにも関わらず。
大戦後、最初の探検から20年近くが経って最後の探検に向かうとき、フォーセットはかつて密林の中に悪夢のような唐突さでそびえ立っていたオペラハウスが、朽ち果て廃墟になっているのを目にする。たかだか20年かそこらでただ痕跡だけを残して消えていくものがあるというのに、数百年かあるいはそれ以上の単位の過去の遺物が残っているということには微塵の疑いも持たないフォーセットには微笑ましささえ覚えるが、実のところ笑えない。彼は、「黄金郷」などといった、直接覗き込めばその目が潰れてしまうような"光"そのものに魅入られたわけではないのだ。彼が見たのは放たれた"光"が残した反映のディテールに過ぎなかったのに、もう一度それを見ずにはいられなくなった。もっとさまざまなディテールを見ずにはいられなくなった。それがいまスクリーンに光の反映として映し出されている映像を見つめている自分と同じだと思ったのが、あの観客席のなかで私だけだったとは思えない。
この映画の最終盤に広がる密林の闇が、これまでのグレイ作品の路地裏の闇に比べて薄明るいのは上映環境のせいだけではないだろう。それは最初の探検に向かう前日に妻と言葉を交わす室内よりも、戦地に向かう直前の廊下よりも、薄明るい。無数の篝火が照し出す密林の闇の奥にはひときわ大きな篝火があったが、それですらフォーセットの"光"そのものではなく、反映だろう。彼が幸福な男であったのか不幸な男であったのかは知らないが、とにかく他人とは思えなかった。


「未体験ゾーンの映画たち 2018」ヒューマントラスト渋谷にて2/22、23にも上映あり

  • 『アンダーカヴァー』ジェームズ・グレイ 梅本洋一

  • 『トゥー・ラバーズ』ジェームズ・グレイ 高木佑介