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March 28, 2018

アンゲラ・シャーネレク監督インタビュー

[ interview ]

帰らざる時間 アンゲラ・シャーネレク監督インタヴュー

 3月14日から17日にかけてアテネ・フランセ文化センターにて行われた特集上映で、私たちは彼女の作品群を発見した。一作ごとに変化する作風、しかしそれらを貫く揺るぎない映画への意志。

 取材前日のQ&Aで、小津安二郎の偉大さについて「彼は他のなににも似ていない映画をつくった」と語っていた彼女。その言葉はある意味で、彼女自身の作品についても当てはまるように思う。

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ーー今回の特集上映で拝見した5本の作品はどれもすばらしかったのですが、とりわけ『はかな(儚)き道』に衝撃を受けました。それ以前の作品はどちらかと言えば長めの引きのショットと長めのセリフで構成されていたように思いましたが、この作品では人の体を部分的に大写しにした短いカットと極端に少ないセリフが印象的でした。

AS 『はかな(儚)き道』は、自分にとっても新しい試みで、人の身振りや行動についてより多くのことを語っています。このシナリオを書くとき、一行がひとつのカットになるようにしました。つまり行を変えるということは、カットを変えることを意味します。そうすることによって、それまでに作ったものとは全然違うリズムがもたらされました。

 それは同時に、登場人物がほとんど話さない、言葉を失っているような状態とも関わってきます。例を挙げれば、冒頭のギリシャの公衆電話のシーンでも、ラストの駅前で再会して向かい合うふたりも、言葉を発することはありません。そのようにシナリオを書くことで、どういうふうに撮影すべきかということがわかってきました。そのため、撮影の段階ではスムーズにいったのですが、いざ編集する段階となって、ひとつのカットをどんな長さにするのかには大いに頭を悩ませました。ひとつのカットの長さを決めるために幾晩も悩み続けるということもありました。本当に難しかったです。

ーー監督の作品では、カット越しに人物の視線が行き来する、いわゆる切り返しが極端に少ないですね。

AS 私は切り返しを最初から使っていません。というのも、あるショットから別のショットに切り替わり、また元のショットに戻るとき、(空間と一緒に)時間まで戻ってしまうような気がするのです。もちろん切り返しというのは普通に使われる手法です。ですがあまりにも普通に使われすぎているので、それをやめたらなにか違ったことができるんじゃないかと思っていたのです。

ーーしかし『はかな(儚)き道』には非常に印象的な切り返しがあります。いまのお言葉を借りれば、彼らふたりのあいだではある意味で文字通り「時間が戻って」きたと考えていいんでしょうか?

AS そうですね(笑)。でももちろん、切り返すことでまったく同じカットが戻ってきたのではありません。つまりコンセプトとしてそう見えるように考えたわけではないのです。ただ、観客が見ているときに頭で理解するようなことではなくても、まったく同じカットではなくとも似たカットが来たときに、それとは意識せずに感じることがあるんじゃないかと思うんです。

ーー『はかな(儚)き道』では、何作かぶりに監督自身で編集作業されたと伺っています。その経緯をお伺いしたいです。

AS 編集がアナログだった初期の作品は、自分自身で編集していました。ですが編集がデジタルの作業になったときに、編集台がなくなってしまって、私にはどうしたらいいのかわからなくなったのです(笑)。それで編集の専門家を呼んで一緒に作業しました。いつもそばについて、あたかも自分が編集をしている気持ちで一緒に編集をしたわけです。それが『はかな(儚)き道』の頃には、デジタル編集の仕方もどんどん簡単になってきていて、自分でやらないのが馬鹿馬鹿しくなったんですよね。ラップトップを開いて、自分でやればいいんですから。

 でも、それは私の映画にとっては重要な問題でした。先ほどお話ししたように、私はシナリオを書いている時点からどう編集するかを考えています。だから自分で編集することはより重要なことになってきています。

ーー制作体制についてもお聞きしたいと思っていました。『昼下がり』からご自身の制作会社「Nachmittag」(=「昼下がり」映画と同名)を立ち上げられたのですよね。

AS プロデューサーと監督とのあいだの共同作業は、とても複雑で難しいものです。プロデューサーからの提案や意見を受け取って、それについて返事を返し、それにまた返事が来て......というやり取りにはひどく時間がかかるし、そのやりとりのあいだでやるべきことのバランスを見失ってしまうことにもなりかねません。だったらプロデューサーも自分でやったらいいんじゃないだろうかと思ったんです。

『はかな(儚)き道』は再びプロデューサーと組んだ作品です。それは、ギリシャやイギリスなど外国で撮影する必要が出てきて、映画の規模が大きくなってしまったからです。そのことでものすごくエネルギーを使いました。ですので、いまほぼ撮影も終えて編集段階にある最新作では、また自分でプロデュースしています。

ーーあなたの映画の多くは休暇の時間を描いていますね。『私の緩やかな人生』(英題は「Passing Summer」)『マルセイユ』『昼下がり』『オルリー』、それぞれどれも過ぎ行く季節や時間帯、一時的に留まる場所などがそのタイトルになっています。過ぎ去っていくものたちを、あなたの映画は見つめているような気がします。

AS 時間について考えるというのは......、映画にとって時間というものは際立ったものです。もちろん時間は普段の生活においても関わらざるをえないものですし、絵画や文学といったジャンルにおいても非常に重要な意味を持ちます。ですが、映画を作ることとは時間とどのように向き合うのかに意識を向け、それを決定することであると思います。

 一方で、自分自身の人生の中で時間というものとどう関わっているのかを考えるのも、重要でまたおもしろいことです。時間というのは本当に連続しているものじゃない。もちろんこうやって話している間に時間が経っていくということは感じます。でも、たとえば映画館の中で椅子に座って映画を見ていると、それはもう終わった時間だと感じる、過ぎ去ってしまった時間に感じるのです。

 自分の映画を撮影しているあいだは、それとはまったく違うことを思います。カメラが回っている間の感覚は不思議なもので、まるで時間が止まっているかのようなんです。カメラが回っているあいだは、あらゆる瞬間をすべて捉えられると感じるからです。わかりますか?だからカメラが回っているとき、自分は満足しているんです。そして編集になると、新しいものが始まる。もう(撮影のときには)戻れないんです。あったことはもう過去のことになっている。

 編集の最中にも似たことが起こります。これがいいと思った決定がやっぱり違っていたというとき、厳密な意味で元に戻すことはできません。かつて自分がよかったと思った地点まで戻ろうとしても、うまくはいかないのです。

ーーあなたの作品では家族という要素もまた重要である気がします。たとえば『オルリー』などで印象的なのは母と子の関係が、そこにいない父親について交わされる長いダイアローグによって見えてくるところです。そのことからか、あなたの映画からは家族にとって重要な父親の存在がどこか希薄な印象を受けるのですが。

AS ある意味でそのようにしか描けないのだと思います。たとえば、母親と子供が出てくる場面でそこに父親が姿を現さないとしても、家族という関係はふたりだけのあいだで完結しているわけではなく、父親との関係が必ずあるわけです。テーマとしてはっきりと父親というものを出さない場合、どうやって不在の父親はテーマになるのか、あるいはなぜ父親をテーマにしないのか。かならずどこかで父親は関わってきます。まったく父親が関係ない家族などありえないのです。

 たとえば子どもについても同じことが言えると思います。なにもなく子どもが突然ひとりで生まれてくる、なんてことはありえないわけです。かならず親がいる。それを語る語らないに関係なく、そういうものです。

ーーお言葉通り、あなたの映画では、家族をはじめとする人間関係において、あえて語られていない部分が多々あるかと思います。それによっていわゆる「登場人物の心理」が読み取りづらい。しかしそれによって見ている観客が感情的な起伏を感じないかというと、そうではありません。あえてひとつだけ例を挙げれば、音楽の使い方です。『オルリー』で見知らぬ男女の目が合うシーンでかかるキャット・パワーの「Remember Me」、『はかな(儚)き道』冒頭の「The Lion Sleeps Tonight」。そうした場面には、キャラクターの心理や内面を越えたところで、見ていて心揺さぶられます。

AS 単純な話なんです。つまり、ここでなにか音楽が欲しいなあと思うときにかかるんです(笑)。単純なんですよ。音楽というのは、男と女が出会う、まさにその瞬間に流れる。音楽はそのシーンに必要としないものを、そのシーンの中で使われていないものを無理矢理呼び出そうとするときに使うのです。

 音楽を使うのは大変です。権利料や様々な手続きが必要になります。『オルリー』のあの場面も、編集で一度無くしたりしました。そのときに大事だったのは、もし音楽がつけられなくてもそのシーンはほんとうにいいシーンなのか、ということです。この場面は音楽をなくしても、いい場面だったんですよね。でも幸運にも曲の権利がとれたので、使いました。

 ある場面に音楽をつける際に、映像と絡み合って効果音楽のように流れるというのは嫌なんです。場面があって音楽があって、それらを同時に見て聞く、それらが同時にある、そうした使い方を心がけています。『はかな(儚)き道』でおもしろいのは、むしろ音楽が止まるところかもしれません。音楽というのは、それが鳴っているあいだよりも止まった瞬間に、すごくはっきりわかるものです。やはり、いつの間にか終わっていた、というような使い方をするにはあまりにもったいないくらい、音楽は重要なものだと思います。

ーー音楽の止まり方というのは冒頭部分の歌の終わり方のことですか?

AS 後半に車の中で音楽がかかるところもそうです。音楽にはもっとずっと聞いていたいと思わせる力がありますから。そこで残酷にバサッと切ってしまう。ただもちろん、それが一般的に常に正しいと言いたいわけではないです。たとえば小津安二郎の映画ではそんな使い方はされませんよね?(笑)

 余談ですが、小津の映画の面白いところは、すべてを語ってしまうことだと思います。たとえばそれがすごくおそろしいことであっても、とるに足らないことであっても、それらをすべて語れてしまうということ。

ーー興味深い発言ですね(笑)。その言葉がシャーネレク監督の作品にもそのまま当てはまるとはいいませんが、しかし監督自身の映画づくりに深く関わっている言葉である気がします。

取材・構成 結城秀勇、三浦翔
写真 高崎郁子
協力 渋谷哲也、アテネ・フランセ文化センタ―

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アンゲラ・シャーネレク Angela Schanelec
1962年、バーデン=ヴュルテンベルク州アーレンに生まれる。1982年から1984年にフランクフルトで俳優になるために学び、その後1991年までケルン、ハンブルク、ベルリン、ボーフムなどドイツ各地の劇場の舞台に立つ。1990年から5年間、ベルリンのドイツ映画テレビアカデミーに学び、95年から独立映画監督として活動を始める。2005年に自身の映画会社を設立する。2012年から現在までハンブルク造形大学の教授を務める。
ベルリンのアカデミー時代から短編映画を発表し、1998年の長編デビュー作『都会の場所』はカンヌ映画祭「ある視点」部門で上映された。2004年作『マルセイユ』は、ドイツ映画批評家賞脚本賞を受賞、2007年作『昼下がり』はアルバ国際映画祭監督賞を受賞した。ドイツの映画監督13名による短編オムニバス映画『ドイツ09』(2009) では最初のエピソードを監督している。


<4/1 20:00〜、渋谷アップリンクにて、トークイベント:アンゲラ・シャーネレク「自作について語る」が開催>


<アンゲラ・シャーネレク監督特集>
Retrospektive de Angela Schanelec
日時:2018年3月14日(水)-3月17日(土)
会場:アテネ・フランセ文化センター
主催:渋谷哲也、アテネ・フランセ文化センタ―

・上映作品
『私の緩やかな人生』Mein langsames Leben
ローマに半年間出かける友人の部屋を借りて住むことにしたヴァレリー。彼女の夏はベルリンに留まり論文を仕上げることに費やされる。様々な友人たちが出会い、別れ、すれ違う。そして、まだ若いマリアの結婚式に人々が会し、やがて静かに夏は終わってゆく。
監督・脚本・編集:アンゲラ・シャーネレク
撮影:ラインホルト・フォアシュナイダー
出演:ウルズィーナ・ラルディ、アンネ・ティスマー、ゾフィー・アイクナー、リュディガー・フォーグラー
2001年/85分/35㎜

『マルセイユ』Marseille
写真家ゾフィーは部屋交換の広告を見て、マルセイユに滞在する。やがて舞台はベルリンに移り、ゾフィーの写真の仕事や女優ハンナの息子や恋人と生活が綴られる。恋人との関係に揺れるハンナ。一方ゾフィーはもう一度マルセイユを訪れることにする。
監督・脚本:アンゲラ・シャーネレク
撮影:ラインホルト・フォアシュナイダー
出演:マーレン・エッガート、マリー=ルー・ゼレム、ルイス・シャネレク、デヴィット・シュトリーゾフ
2004年/95分/35㎜

『昼下がり』Nachmittag
チェーホフの『かもめ』に着想を得て、母、息子、兄、恋人、若い女性の関わり合いを、ある夏の昼下がりに凝縮したドラマ。忠実な脚色というよりも原作のイメージや言葉の切れ端が波紋のように広がり、静かな夏のベルリンを彩ってゆく。
監督・脚本:アンゲラ・シャーネレク
撮影:ラインホルト・フォアシュナイダー
出演:ジルカ・ツェット、ミリアム・ホルヴィッツ、アンゲラ・シャーネレク、フリッツ・シェディヴィ
2007年/97分/35㎜

『オルリー』Orly
パリのオルリー空港に集まった何組かの人々に焦点を当て、どこかで繋がっているらしいそれぞれの人生模様を紡いでゆく。行き場を失った魂たちがつかの間触れ合いそして別れていく様を、さりげないカメラワークで追いかけてゆく実験的な群像劇。
監督・脚本:アンゲラ・シャーネレク
撮影:ラインホルト・フォアシュナイダー
出演:ナターシャ・レニエ、ブルーノ・トーデシーニ、ミレイユ・ペリエ、エミール・ベーリング
2010年/82分/35㎜

『はかな(儚)き道』Der traumhafte Weg
1984年一組の男女が路上で歌い、ギリシャの変化を見つめる。やがて男の母が事故で重篤となり、男は重大な決断をする。そして舞台は30年後のベルリン、学者と女優の夫婦が離婚の局面を迎える。人生はまるで夢のように唐突に変化し、はかなく過ぎてゆく。
監督・脚本・編集:アンゲラ・シャーネレク
撮影:ラインホルト・フォアシュナイダー
出演:ミリアム・ヤーコプ、トアビョルン・ビョルンソン、マーレン・エッガート、フィル・ヘイズ
2016年/86分/デジタル