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April 18, 2018

『きみの鳥はうたえる』三宅唱
結城秀勇

[ cinema ]

 これが三宅唱の初めての原作つきの監督作であること、あるいはこういった言い方が正しいのかわからないが初の「商業」長編映画であること、そんな先入観は映像を見ている間に頭の中からいつのまにか抜け落ちていく。同様にこの映画が描いている、僕(柄本佑)、静雄(染谷将太)、佐知子(石橋静香)の間の三角関係だとか、静雄が母親に対して抱いている愛憎入り混じる思いだとか、小さな本屋の人間関係だとか、そんな物語すら映像を見ている間に頭の中からいつのまにかすうっと消えている。
 いや、消えている、というのは少し違う。それは目の前にある映像によって語られ続け、あるいは映像の背後に常に張り付いている。なくなりはしない。どんな映画にでも、いやそうした縮尺で考えないだけでもしかしたら我々の日々の生活にさえも、存在するかもしれない物語たちは、目の前でただ蠢く(ほとんどその動き自体以上に目的など持たないような)映像たちに代わって声高になにかを主張したりしないだけなのだ。
 三人がクラブへ行く、三人がビリヤードをする。「僕」がひとりで道を歩く、静雄がひとりで道路を渡る。そんなふうに、主語と述語でシンプルに形容するほかない印象的な場面がいくつもある。これまでに見たどんな映画とも違う手触りで、そうしたシーンが記憶に刻まれる。にもかかわらず、それらの場面で"誰が""なにを"していたかなどといったことはいま私にとってさほど重要ではない。
『きみの鳥はうたえる』は、北国の街で一夏を過ごす幾人かの人々の物語だと言うことはできる。だがそれが"誰"の物語であったかを、もはや私には正確に語れる気がしない。「僕」という一人称以外の名前を持たない人物を微塵のトリッキーさも混じえずに主役に据えたこの映画には、特定の"誰か"のものであったりはしない時間だけが流れている。しいて言えば、北国の街での一夏という時間以外に、主人公はいない。そして「僕」を演じる柄本佑は、ほとんどその"誰のものでもない"時間そのもののような存在である。


8/25より函館シネマアイリスにて先行公開、9/1より新宿武蔵野館、渋谷ユーロスペース他にて全国順次公開


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