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May 26, 2018

『ルポ川崎』磯部涼
隈元博樹

[ book ]

 東京と神奈川のあいだには、県都境を分かつように多摩川が流れている。秩父山地の笠取山に源を発したこの一級河川は、上流の奥多摩や西東京、下流の川崎を抜けたのち、東京湾の待つ海へと流れ出ていく。全長138kmの川から海へと及ぶ変遷のなか、川崎区港町の多摩川沿いで「中1男子生徒殺害事件」が起きたのが、2015年2月20日のこと。『ルポ川崎』は、今から約3年前に起きた同事件と、その後立て続けに発生した近隣の事件(簡易宿泊所での放火事件、老人ホームでの虐待事件)を背景に、川崎の実態を臆することなく紐解くことから始めていく。
 おもな取材対象となる川崎区は、川崎駅や臨海部の工場地帯を望む川崎市の南部に位置し、駅周辺のショッピングモールや商店街を除くドヤ街、競馬や競輪場、風俗街、裏カジノの入り組んだエリアとして知られている。しかし『ルポ川崎』は、こうしたいかがわしさや危うさを孕んだ街であることが提示されるものの、ある種のスラム・ツーリズムを煽るようなことはしない。むしろ本著を読み進めていけば、川崎へ移り住んだ者、川崎にとどまる者、あるいは出ていく者たちのドキュメントへと吸い寄せられていく。彼らの生い立ちや境遇は、まるで下流の多摩川を流れていく水のようでもあり、「俺たちにとってはこれが日常なんで」と言わんばかりの立ち居振る舞い、また彼らから発せられた言葉の強度に自ずと惹かれてしまうからだろう。
 たとえば「高校生ラップ選手権」の活躍で一躍脚光を浴びた2winのT-PABROW(第1回大会当時はK-九)とYZEERこと岩瀬兄弟、また同年代のラッパーを中心に結成された「BAD HOP」は、隣町の横浜市鶴見区から来た者、生まれてからずっと川崎で暮らす者、あるいはラッパーとしての成功を機に川崎の外を知った若者たちによるグループだ。彼らは川崎を拠点に音楽活動を続けるものの、それは同時に工場労働者や暴力団によって支えられてきた「飲む・打つ・買う」のしがらみから抜け出す術でもある。つまり彼らは、地元のヤクザか町工場の職人になることしか選べなかった不良たちに、ラッパーになるという選択肢を与えた先駆者でもあるのだ。もちろんそのことは、他章に登場するアウトローな世界を自らのリリックに込めたA-THUG(SCARS)のスタイル、川崎北部と南部のメンバーで構成された「FLY BOY RECORDS」のアティテュード、さらには東京から地元の川崎に拠点を移して音楽活動を続ける在日韓国人のFUNI(KP/MEWTANT HOMOSAPIENCE)などにも通じている。またラッパーではなくとも、ヘイトスピーチに抗うべく組織された反レイシズム団体「C.R.A.C KAWASAKI」、工場の屋上でレイヴ・パーティー「DK SOUND」を主催してきた(現在は終了)吉野夫妻、堀之内に根付いたスケートショップ「ゴールドフィッシュ」の大富寛、ゴーゴーダンサーの君島かれん、亡き母から引き継いだダンススタジオ「STUDIO S.W.A.G」を経営するDee、川崎競輪場をたむろする友川カズキたちも、多摩川を流れる水のような人々だ。川崎という街を対象化し、川崎と向き合うための術を知る彼らは、その街の民であり、流れ者でもある。つまり『ルポ川崎』とは、磁場としての川崎を求心するためにあるだけではなく、地に足を付けた(あるいは付けたことのある)川崎の人々によって生まれる数多なドキュメントの中継地にほかならないことを示唆している。
 そして彼らが示す生き方とは、ふれあい館の鈴木健が語る「勝てないかもしれないけれど、負けないための生き方」なのだろう。1988年に社会教育館と児童館の統合施設として開館した同館は、川崎区の桜本に広がる在日韓国人たちの支援に始まり、最近では中国、フィリピン、ブラジル、ペルーなどにルーツを持つ地元住民たちにも開かれている。そこで鈴木は年に一度開催する音楽イベント「桜本フェス」によって、劣悪な家庭環境に置かれた子どもたちを音楽で救う活動を続けている。もちろんすべてがうまくいくわけではないし、たった1年の環境の変化でドロップアウトした子どもたちも少なくはない。ただそれでも、拠り所としての「桜本フェス」を続けることは、幸福な記憶の生成であり、川崎の人々の祈りですらあることが窺える。
 冒頭に記したような川崎の姿がある限り、そこは言わば現代の「リバーズ・エッジ」(=川崎)と言えるのかもしれない(奇しくも「中1男子生徒殺害事件」の現場は、1994年に岡崎京子が『リバーズ・エッジ』で描いた大田区とは対岸の河川敷だった)。しかし著者の磯部涼が語るように、20年前の主人公たちの「生きている実感が湧かない」と謳う若者たちの姿は、もはやこの多摩川を臨む川崎に存在しない。それは『ルポ川崎』の登場人物たちのように、川崎を往来しつつ、またとどまりながらも何かを変えるために立ち上がる人々の姿があるからだ。私が本著を手にしたのは、ちょうどこの近くに住んでいるということ、あるいは数年前に川崎区で映画を撮ったことがあるという理由だった。しかし今となっては、スラム・ツーリズムとは一線を画すべく、「勝てないかもしれないけれど、負けないための生き方」を探るため、まずは近いうちに川崎区のブラジル料理やペルー料理を食べに行ってみようと思ったのだった。