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December 10, 2018

『花札渡世』成澤昌茂
結城秀勇

[ cinema ]

 たとえば、東南西北で構築される麻雀のように、空間的に世界を模したゲーム及びそれを使ったギャンブルは数あれど、花札のように時間的に世界を構築したゲームは古今東西においても珍しいものなのではないかと思う(正確には花札自体はゲームではなく、『花札渡世』においても花札を用いた各種のゲームが登場するわけだが)。各札に割り振られた植物が12の月を示す花札は、『花札渡世』において時間経過を視覚的に示す効果的な演出として用いられる。だが、松から桐までの一年が、プレイヤーたちによってシャッフルされるたびに繰り返し巡り巡る花札それ自体とは違って、『花札渡世』で挿入される札に描かれた植物は、もう戻れない、取り返しのつかない季節の変化をむしろ示している。
 歳の離れたイカサマ師コンビ、素めくらの石(伴淳三郎)と梅子(鰐淵晴子)との出会いが、昔気質のいい男だがそこが時節に合っていない博徒北川(梅宮辰夫)の人生を変える。そこからすでに、切れば切っただけ、はればはっただけ巡り巡ってくる48枚の季節は、もう際限なく繰り返す時間ではなくなっている。ファムファタルである梅子と出会ったのは紅葉の季節だが、警察に踏み込まれた賭場で、「私の命よ」と彼女から札束を受け取った時点で、北川にはもうそれまでと同じ紅葉の季節も梅の季節も来ない。
 そのことは洋装和装がきわめてモダンなかたちで混じり合う時代、そしてそれが太平洋戦争へと向かう時代である数年間を舞台にしたこの作品のテーマと深く重なり合う。東北の水呑百姓の実家を捨てて、手慰みに覚えた賭博の道に入った北川にとって、あるいはこの映画に登場するすべての人物にとって、花札の描く四季、つまるところタイミングを見て利鞘を稼ぐことは死活問題であるが、それは大局としての流れを変えることにはなにひとつならない。
 だから『花札渡世』では、任侠ものというにはあまりに善悪の集団の線引きが不明瞭で、逆に言えば、結局のところあらゆる人物が半端者である他ない己の在り様を誤魔化すことなく直視する。決して誇ることはできないただのサマ師である石が、図らずも魅入られたイカサマの素晴らしさを語るおでん屋台のシーン。あるいは物語上はただ長いものに巻かれるキャラクターに過ぎないはずの久江(小林千登勢)が端々に見せる気概。作品終盤の北川のセリフを借りれば、すべての人物が「心のつっかい棒」を持っている。
 だがその「心のつっかい棒」も繰り返す季節の循環を越えて永続するようなものではない。映画の終盤で、梅子と北川は次のような会話を交わす。
「おとっつぁんが言ってたわ。彫り物をしてると、ノミや蚊が喰わないって」
「そのかわり......、冬は冷えるぜ」
 夏は都合がいいが、冬は寒さが沁みる。そんな生き様を背中に背負った人間たちが、二度と越えることがない冬へと進むさまを『花札渡世』は描いている。

シネマヴェーラ渋谷 | 上映スケジュール

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