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March 12, 2019

『ジャン・ドゥーシェ、ある映画批評家の肖像』をめぐって(「映画/批評月間〜フランス映画の現在〜」特集より)
坂本安美

[ cinema ]

AFF JEAN DOUCHET, L'ENFANT AGITÉ HD.JPG

映画/批評月間〜フランス映画の現在〜」は、とにかく今見るべき面白い映画、他の劇場ではなかなか見られないフランス映画を紹介するとともに、「映画」と「批評」の弁証法的関係、そしてその秘められた多くの可能性を考察すべく企画された。その趣旨を確認し、主催者としても気を引き締めて特集をスタートするために、長年に渡り「批評」の醍醐味を身をもって示し、数多くの映画人たちを育て、発掘してきたジャン・ドゥーシェに登場してもらうべきだと、このドキュメンタリーをオープニングに選んだ。しかし観客の皆さんとスクリーンで見ていて、気を引き締めるもなにも、いつの間にか涙ぐみ、ラストに近づくにつれほぼ号泣し、上映後しばらく茫然自失になってしまった。なぜにこれほどまでに感動してしまったのか。以前から、ドゥーシェのシネクラブで育ち、本作を製作・配給しているカルロッタ・フィルム代表ヴァンサン・ポール=ボンクールからも日本での上映を強く勧められていたのだが、このドキュメンタリーを引き続き日本で上映し、紹介していくことの重要性をあらためて心に刻み、ミッションとし、まずはこの場で、ジャン・ドゥーシェ、そして本作の魅力、内容を皆さんにご紹介しておきたい。  
(パリの北7マイルの位置にある)アンギャン=レ=バンシネという街で行われたシネクラブでドゥーシェの映画講義を聞き、彼と出会い、人生を変えられた三人の若者たちは、すでに80代後半にさしかかる(今年で90歳)この著名な映画批評家の人物像に迫るため、カメラを取り、パリに向う。無垢とも言える若い彼らの眼差しを通して、伝説的映画批評家の肖像が少しずつ見えてくる。そして彼の言動のダイナミズムに引き込まれ、心動かされながらカメラを回し、進んでいく。そして映画についての思考と、人生についての思考、ひいてはこの世界についての思考が密接に結びついていることを感激とともに確認する。ドゥーシェの元教え子の一人でシネマテーク・ブルゴーニュの館長、ニコラ・プティオが次のように述べている。「ドゥーシェのような批評家は他にいない。彼のような思考形態を持つ人、つねに運動の中で思考し、それも素早く思考し、仕事をし続ける人はいないだろう。ドゥーシェがノートを取っている姿を見た人なんて誰もいない。すべてが瞬時に思考され、即興でなされる。人生そのものが運動なんだ」。宇宙の、人生の、映画の運動がドゥーシェの思考、言葉によって結びつき、そこからまたあらたな運動を生んでいく。やはり彼の教え子、友人でもあるアルノー・デプレシャンが述べているように「僕たちはその開かれた思考を訪れ、ここの部屋に入ってみよう、こちらはやめておこう、と、そこに定着することなく、動きまわることができるんだ。ドグマ的な教えからははるかに遠い、より開かれた、野性的とも言える思考なんだ」。運動とともにあるからこそ、つねに驚きがある。生きることと映画を見ること、語ることはこんなにも結びついている、そのことをこれほどまでに身をもって示してくるジャン・ドゥーシェに乾杯! (坂本安美)


*作品紹介 「映画批評とは愛する術、愛する芸術である。批評とは情熱の結晶であるが、その情熱で燃え尽きてしまうのではなく、細心の明晰さで抑制しようとする情熱の成果としてあるのだ」ジャン・ドゥーシェ

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 ジャン・ドゥーシェは50年以上前から映画批評家として世界中を旅してきた、映画についての伝道師、「渡り守(パサール)」である。その類まれなる知性、教養、ユーモアによって、映画作家や映画ファンたちに影響を与えてきた。ある晩、三人の仲間たちがドゥーシェと出会い、彼の話にすぐさま魅惑され、ジャン・ドゥーシェという謎多き男との特権的な関係を持ち始める。 ジャン・ドゥーシェには様々な異名がつけられている。ある時は「『カイエ・デュ・シネマ』のスフィンクス」、またある時は「映画のソクラテス」。書いたテキストはそれほど数多くあるわけでなく、撮った映画も数本しかなく、ドゥーシェの役目を定義することは難しい。しかし映画を愛する者なら誰でもドゥーシェの魅力、その影響を知っている。彼の偉大な業績とはピュグマリオンであること、つまり映画の愛を伝えることでアーティストたちの才能を世に知らしめることだ。
『カイエ・デュ・シネマ』の象徴的な書き手(1958年から1963年の間、エリック・ロメールの片腕として副編集長も務めていた)であったジャン・ドゥーシェは、才能を見出す達人でもあり、この神話的とも言える映画雑誌と切り離せない重要な存在となる人物たちを発掘し、迎え入れている。たとえばそれは映画批評家のセルジュ・ダネーやジャン・ナルボニであり、その後映画監督、プロデューサーとなるバーベット・シュローダーであった。ドゥーシェは生涯を通して、分け隔てなく若者たちと付き合い、未来の才能を発掘し、それ自体が彼の使命となってきた。伝えること、その欲望に没頭し、身をささげ、そうしてシネマテーク・フランセーズのシネクラブ、あるいはパリのミニシアター、パンテオン、地方のシネクラブで50年以上も映画の講義を続けている。ドゥーシェがこれほど長い間、映画人たちに影響を持ってきたのは、その思考の力の背後に、楽しみ、悦びとともに生きる、という独自の生き方が浮かび上がってくるからではないだろうか。彼と出会った人々の心に刻まれるのはそうしたドゥーシェの生き方でもあるだろう。
 ジャン・ドゥーシェとの会話を通して、貴重なアーカイヴ映像、そして彼のかつての教え子たち、映画監督のアルノー・デプレシャン、ノエミ・ルヴォウスキー、グザヴィエ・ボーヴォワ、あるいはプロデューサーのサイド・ベン・サイド(クローネンバーグ、バーホーベン、ガレル)、昔からの仲間の(バーベット・シュローダー)からの証言で構成されているこの例外的ドキュメンタリーは、ジャン・ドゥーシェという得がたい人物、独特な思想家と出会う旅へと誘ってくれる。


*本作からのいくつかの言葉の抜粋

冒頭 監督たちによるナレーション 「2008年、アンギャン=レ=バン、僕たちは17歳で、映画のことはなんでも知っていると思っていた。街の文化会館のシネクラブでジ彼の講義を聴きに行き、そこで彼に話しかけられた。その年、4回、彼と会った。最後に会った時、彼は僕たちにこう言ってくれた、「パリに早く来なさい、また会おう」と。 僕たちはそれぞれ自分の人生を歩み始め、どんな神秘とともに彼は自分の人生を築くことができたのだろうか、と自問し始めた。批評家として書いた文章はそこまで多くなく、監督としても数本の作品しか撮っておらず、教師でありながらも授業はほとんど持っておらず、また父親的存在でありながら子供はいない。彼の業績をどのように捉えればいいのだろうか? 僕たちはキャメラを取り、彼の家に赴き、映画以外のことを聞いてみることにする。そして僕らよりも前に彼を知っている人々に会いに行こう。途切れることのない彼の思考の流れを辿るべく、散在しているテキストや映像にあたってみよう。 調査していくうちに偶然、ある書類に行き当たる。彼が一度も映画化しなかった自伝的脚本、『動き回る子供』のラストの部分である。 「ある晩、子供が農家から出てきて、田畑を歩き回る。少年は森の中の空地にたどり着くが、そこは何年か前に鹿が蹄を立てて彼にぶつかってきて、意識を失ったその場所であった。今は真夜中。我を忘れて、少年は服を脱ぐ。そして裸になった時、彼は悪魔に身を渡す。しかし悪魔は姿を表さない......」

アルノー・デプレシャン:当時、イデック(高等映画学院、現フェミス)で、僕たちは、フランス映画に対して強い怒りを抱いていたんだ。というのもその頃、僕たちはとにもかくにもアメリカン・ニューシネマの子供たちで、その活力に強い衝撃を受けていたからね。他の先生たちの反応といえば「スコセッシなんてたいしたこよないよ」、「コッポラ?過大評価されているね」といった感じだった。自分たちの受けたそうした衝撃について話をできる唯一の先生が、ちょっと前の世代の人たちではなく、自分たちより随分前の世代の人、つまりジャン・ドゥーシェだった。僕らが「デ・パルマ、すごいですよ」と言うと、ジャンは「へぇ、そうかい」と答えていた。彼はデ・パルマの作品を見たことがなかったんだ。そこである木曜日、僕らがジャンにビデオカセットをいくつか渡すと、「まぁ見てみるか」と受け取ってくれ、次の月曜日に学校に来くると「今学期は、溝口をテーマにするのはやめて、デ・パルマにしよう」と発表したんだ。つまりジャンは若者たちの言葉に耳を傾けてくれる稀有な教師であり、彼と僕らの間には常にとても活発なやりとりがあった。

ノエミ・ルヴォウスキー:私はドゥーシェの授業に出る前からジャン・ルノワールの映画が大好きだったけど、どうして好きなのか言えなかった。でも彼の授業に出るようになって、ルノワールの作品、『ゲームの規則』であり、『ピクニック』にせよ、それぞれがまるでひとりの人間のように思え、上映後もその「人」と対話を続けられるかのように思えた。それは多分、ジャンが一本の作品、映画について話すとき、まるで生きているものについて語るように話してくれたからだと思う。映画を自分で撮るようになってからもそうした生きているもの、ある有機的な何かをそこに見いだそうとしている。

アルノー・デプレシャン:(ルヴォウスキーの上記の発言を受けて)そう、まるで血液がめぐるように意味作用がめぐってきて、生きた有機体となるんだ。ジャンは映画の意味を目覚めさせる術を知っているんだ。映画の送ってくる手紙を読み解くように。 (...) イデックの学生だった時、自分の撮っている映画に出演してくれるようにジャンに頼んだ。それはジャン・レーをめぐる映画で、彼にお願いしたのはジャン・レーの編集者の役だった。撮影のために小型トラックを借りたのだけど、僕らはまだ19歳ぐらいで、車のことなどあまり知らず、ディーゼル車だったのに違うガソリンを入れてしまい、故障してしまい、予定していた時間より2時間も遅れて現場に到着した。スタッフ、キャストみんな2時間待たされていて、その中にはジャンもいて、僕の方に来てこう言ったんだ。「アルノー、どんな仕事も報酬をもらうべきであり、君は2時間も遅れてきてそれはプロとは言えないね。撮影が終わったら、僕はちゃんと報酬をもらうからね」と。僕は分かりましたと答えながら、「これで僕もおしまいだ!」と思ったよ。パリの映画人たちの常識から言ったら、きっと2万フランくらいは請求され、二年ぐらいかけて夏の間ずっとバイトして返済していかなければならないのか、大変なことだ、でもやるしかないと思っていたよ。とにかく撮影が始まり、ジャンは、彼が出演しているほかの映画を見れば分かるように、役者としても素晴らしかった。クランクアウトして、最悪の事態も想像しながらジャンに近づいて行き、「仰られた通り、出演料をお支払いしたいと思いますが、いくらご用意すべきでしょう」と尋ねると、「そうですね、じゃあ口づけでも」と。そこで僕はジャン・ドゥーシェと口づけを交わしたんだ。あのドゥーシェの顔が近づいてきて、彼の口に自分の口...不思議な体験で、鮮明に記憶しているよ。ジャンは人生についてある教訓を教えてくれると同時に、俳優との関係において非常に重要なことも僕に教えてくれたんだ。田舎から出てきて、自分のことで精一杯になっていた僕を、禅の僧侶のように、その言葉で解放してくれたんだ。そしてホモセクシュアリティという考えへのバリアもとっぱらってくれた。とにかく彼の言葉の中には多くの意味があり、僕が解放されるべきだった場所へと導いてくれたんだ。


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ジャン・ドゥーシェによる『サンライズ』(F.W.ムルナウ監督)についてのコメント(作品冒頭部)
「これは男と女についての叙事詩、どこからともなく聞こえてくる歌であり、あなた方はどんな時でも、どこでももこの歌を聞くことができます。」この映画は愛と性の間で引き裂かれた、欲望についての永遠の、感動的な物語です。


ドゥーシェと監督たちとの会話(作品終盤部)
監督たち:あなたついて感銘を受けるのは、なんと言うか、「後悔はない」というあなたの言葉が示すように、野心を抱かず、でも与えられた人生を受け止めることができる、他の人たちよりもそれをよりよく味わうことができるということです。

ジャン・ドゥーシェ(以下JD):そうだね、そう思うよ。それこそ真の問題、哲学的問題であり、同時に、純粋に実践的問題だと思う。

監督たち:ぜひ哲学的問題について話してください。

JD:いや、それは結局同じ問題なんだよ。存在(existence)と生、人生(vie)の関係だからね。私は根本的に生の側にいるんだ。存在は生のためにあり、生へと向かうべきだ。非常に多くの人々が存在のため、存続のために人生を犠牲にしてしまっている。純粋に人生を愛するなら、驚きのみを愛するはずだ。ものごとが確立、定着することは望まない。もっと突き詰めて言えば、時とともに、(私だけのことではなく、世界がそういうものであるのだから)宇宙全体が運動であるのだとより確信するようになった。すべてが運動なんだと。そしてその運動において、実は時間が重要だ。三次元の空間は、アプリオリには運動なしで受け取められる。幾何学的なサインを作るだけで、運動は必要ない。三辺を作れば三角形で、四辺を作れば四角形ができる。三次元は固定を受け入れる。しかしそこに時間を導入すると、従って宇宙の運動自体を導入すると、固定することができなくなる。神の存在を認めることもできなくなる、なぜなら神は定めることしかできないからだ。すべてが永続的な運動であり、永続的な創造であり、永続的な変革、そして破壊...と続いていく、絶えずね。それが生、人生というものだ。人生を受け止め、執着は拒む。私の立場は根本的に、人間的に、所有することに反対なんだ。

映画/批評月間~フランス映画の現在をめぐって~ 日程:3月9日(土)〜4月21日(日)[14日間] 会場:アンスティチュ・フランセ東京