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April 29, 2019

「次元のあいだ/Between Dimensions」石場文子
橋爪大輔

[ art ]

 何枚もの写真が壁にかけられている。ある1枚の写真には、物干し竿にかけられたピンチハンガーが挟む、靴下やハンカチーフが記録されている。このような日常的光景を写した《Laundry #6》には、靴下が黒く縁取られていること以外、何ら変わったところは見受けられない。翻って、一般的な写真に存在する客観性が、ここでは薄められている、ともいえるだろう。本作は石場文子によって制作された。彼女は、物を黒く縁取ることで鑑賞者を驚かす。同時に、鑑賞者に縁取られた物を平面として認識させる。 
 さて、この作品に絵画的な線が入り込んでいるのだろうか。いや、現実世界に絵画的な線が入り込んでいるのだろうか。いずれにせよその線は、物の輪郭線、もしくは物と物との境界線となる。一方、色の境界線として、ピエト・モンドリアンの絵画作品《Composition with Red, Blue, and Yellow》には石場のような線が見られる。それは「絵画を囲い込む形体を極めて自明なものとして反響させ」(クレメント・グリーンバーグ)、平面性を強調する。「絵画を囲い込む形体」はフレームであり、矩形だ。本展でも全ての写真作品は矩形のフレームで囲まれている。しかし干された靴下の輪郭線は、フレームとは異なり決して均一な幅ではなく、矩形をつくらない。ここでは「反響」は起こり得ないのだ。また、靴下は当然陰影を帯びており、それもまた平面性に対する抵抗のようにも感じられる。 
 《Laundry #1》では、竿にまっさらなタオル(輪郭線はない)が掛けられている。しかしこれがタオルである確証は存在しない。先ほどの靴下とは異なり、陰影は消去され、凹凸すらも完全に平されているからだ。コラージュ作品みたく、本来同じ空間に存在しないはずの物が同居しているように思われる。物干し竿を収めた写真の上に、「タオルのようなもの」が重ねられているかのようだ。はっきりと名指すことのできない「タオル」は、タオルに何かを上塗りすることで表されている。そうするとこれは、石場の黒い縁取りのヴァリエーションと考えられるのではないだろうか。輪郭線は、石場がそれとみなして物の上に描かなければ存在しない。同じく「タオル」も、石場がそれとみなして上塗りしなければ存在しない。
 平面を連想するも、すぐにそれは挫かれる。しかしいつまでも、認識する主体である私は平面と立体のあいだで宙づりにされたままなのだ。私は、ホワイトキューブを思わせる白い壁に囲まれた、明るい部屋で宙づり状態を享受する。《それは平面ではない》が、しかし《それは確かに平面であった》のだから。次元のあいだは輪郭に対する輪郭線のように、本来存在しない。次元のあいだは創出されるものなのだーー《分裂》した認識を行き来する運動によって。

石場文子「次元のあいだ」 | Ayako Ishiba "Between Dimensions"
4月20日(土)〜6月1日(土)東京都品川区東品川1-33-10  TERRADA Art Complex 3F 児玉画廊|天王洲