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June 11, 2020

『アトランティックス』マティ・ディオップ
梅本健司

[ cinema ]

 『アトランティックス』をいかにして語ればよいのか。冒頭のダカールの工事現場で働く男たちのシーンから一人の女が鏡に映る自分自身を見つめるラストショットに至るまで、この映画にはいくつかの筋立てやジャンルが混在している。例えば、山藤彩香が書いているようにメロドラマ的な要素を中心に語ることもできるだろうし、あるいはファンタジーとして、あるいは 刑事モノとしての要素を見つけることもできる。そういった複数の筋立て、ジャンルで観客 に混乱を生じさせるリスクを負いながらも、この映画は明確な意図を提示している。それは、カメラが物語によって固定されてしまうことを避け、何を撮り、何を撮らないかということを徹底したマティ・ディオップによる仕事の恩恵である。

 給料未払いという労働問題が解決できず、スペインに仕事を求め大西洋を渡ろうし、たどり着く直前で荒波にのまれた男たち。しかし『アトランティックス』は、男たちの悲劇的な物語から始めながらも、そこから徐々にフレームをずらしていく。たとえば、彼らの航海も、その先での難破も映されることは一切ない。ではこの映画は何をフレームに収めていくのか。それは、彼らのいなくなった街で生きる女たちであり、とりわけエイダという一人の女性の肖像である。
 男たちの物語であったはずのものを女の映画に変えてしまう。そうしたマティ・ディオップのダイナミックな転換作業は映画全体だけではなく、細部のアイディアとしても用いられている。海の藻屑となった男たちは男性として身体を捨て去り、女たちに憑依することでダカールの街に戻ってくる。そうして彼らは、女たちの身体を借りて、長い間自分達に不当な扱いをしてきた雇い主への復讐を果たす。その斬新なアイディアは、ダカールの劣悪な労働環境や封建的な男社会にこうして制裁を与えるだろう。しかし、他者の魂を自分の身体で受け止める、つまり自分でありながらも他者になるというディオップによるこの独創的な発想は、そのように社会問題の解決にのみ用いられるのではなく、エイダや彼女の親友、男たちに取り憑かれていた女たち、事件を取り調べた刑事など、それぞれの登場人物たちの人生にこそ及んでいく。

 ラストショットはこの映画がそれまで歩んできた道程を折り畳む。エイダが鏡に映る自分と背中合わせに座っているのを映したバストショットから、彼女が鏡の方に振り返る動作で、カメラ目線の彼女のショットに切り替わる。それが鏡の前にいる彼女なのか、鏡に映る彼女なのかはわからないが、とにかく画面にうつる彼女は一人しかいない。鏡はこの映画において、死者を映す装置として機能してきた。男たちに憑かれた女たちが鏡の前にたつとそこには、「彼ら」の姿が映っていた。エイダ自身は、他の女たちのようにその身体を海に沈んだ男たちに憑依されているわけではない。しかし鏡に映るエイダは、スレイマンを失ったことを受け入れられずにいた彼女であり、見合い結婚に抗えなかった彼女であり、そして今さっきスレイマンと愛し合ったエイダである。彼女以外の何者でもないが、しかしそれは過去の彼女、もうここにはいない一人の女である。『アトランティックス』は、彼女自身が語っているように、「未来のエイダ」に捧げられている。では、エイダは未来の自分を迎い入れるために、これまでの自分を捨て去らなければならないのか。おそらくそうではない。ラストショットでは、まるで鏡の前にいるエイダと鏡に映るエイダが一つに重ね合わされるように見える。過去の自分、ある意味、死者となった自分と現在の自分を包み込みながら、エイダは未来を生き始めるのだ。
 そうしたエイダの過去から未来へと進もうとする態度は他の誰かによってもたらされているわけではない。彼女を救うのはあくまでも彼女自身であり、帰ってきたスレイマンではないのだ。エイダは何かに大きく反抗したり、感情をあらわにしたりすることもなく、受動的な人物として描かれている。しかし、彼女は目の前で起こることを見つめ続ける。たとえ、重大な出来事(男たちの航海、難破、資本家へ復讐するための放火)を捉え逃したとして、目の前で起こることを見つめ続けることをやめないその眼差しが、男と女、死者と生者、過去と未来が共存することを許し、複数のジャンルや筋立てを縫い合わせるのだ。
 一方、重要人物のひとりである、事件を追ってきた刑事は、その調書を書くこと、つまり起こったことを語ることにはほぼ失敗する。刑事はスレイマンに取り憑かれ、事件を外部から見つめる役目ではなく、事件そのものの当事者となってしまうからである。たしかに彼は、途切れ途切れの記憶を探りながら事件の真相に近づいてはいくだろう。しかし、すべてが終わった後に、刑事が「事件は解決した」と言って、上司の机に置くUSBの中身は明かされることはない。我々は彼がいかにして事件を語ったのかを知るよしもないのだ。マティ・ディオップはあくまでも、女たちに『アトランティックス』を語らせることを選んだのであり、それがこの映画の明確な意図である。

Netflixにて配信中

  • 『アトランティックス』マティ・ディオップ 山藤彩香