« previous | メイン | next »

September 13, 2021

第78回ヴェネチア国際映画祭 山下つぼみ監督インタビュー《後編》

[ cinema , interview ]

Kanoyama_scene3.jpeg(前編はこちらーーイメージフォーラム研究所で制作されたアニメ作品を除くと、かなり台詞が多く、状況や心情がほとんど言葉で説明されているような作品が多いように見えます。それに対して、『かの山』では、言葉を削ぎ落とした、まったく逆のアプローチをしています。『かの山』に登場するカップルは、関係の溝を視線によって語っています。後半の入浴シーンまで二人の視線はまったく合いません。背中を向ける、あるいは、遮蔽物を介して会話する。主演女優の山田真歩さんは度々、伏し目がちにしています。だからこそ、視線が交錯した瞬間に決定的な分岐点のように感じられる。どのようにこういった異なるアプローチをするのに至ったのでしょうか?

山下 映画制作を始めた時、映像の力ではなく、映画は物語を上手な台詞で運ぶものであるとしか考えていませんでした。極端に言えば、物語が優れていれば素晴らしい映画ができると思っていたのです。ですが、その後、多くの映画を見ていく中で、自身が面白いと思うのは、言葉ではなく映像に力のある作品だと感じるようになりました。特に、二本の作品が、強烈に印象に残っています。まず、ベレナ・パラベル&ルーシァン・キャスティーヌ=テイラー共同監督作品『リヴァイサン』(2012)です。ダイアローグがなく、全編で只管、漁をしているドキュメンタリーですが、エモーショナルで、同時に劇的でもあります。秀逸な構成やカメラの動きと視点が素晴らしく、映像制作に対する思考のきっかけを与えてくれました。この作品から、カメラの前の俳優を冷徹な観察者の視点で捉えるという点を学んだと思います。二本目は、ジョン・カサヴェテス監督『チャイニーズブッキーを殺した男』(1976)です。主人公、コズモが演出する舞台を延々と見せ、その長い時間を経た後に最終的な意味にたどり着く。登場人物が生きた人生やその時間の重さを、台詞ではなく、俳優と映像の構成を介して彼らの物語を紡ぎたいという欲望を与えてくれました。『かの山』でも、登場人物の感情表現を抑制し、謎を残したまま最後に価値観、感情であり、関係性が一気に噴出するというように工夫しました。

ーー音響の演出の変化についても話していただけますか?

山下 音響の演出に関して、『かの山』を撮影するまであまり考えていませんでした。『かの山』は台詞が非常に少なく、説明を可能な限り省いていたので、音の持つ意味が大きくなるとは想定していました。特に最後のロングショットは、非常に重要で、主人公である妻の目に見えない思考や感情を共有できればと思っていましたが、回想シーンや視線の演出で伝えるのは非常につまらない選択だと思ったので、サウンドデザイナーの桑原秀綱さんと音楽の中野徳子さんに細かく意図を伝えました。最後のロングショットは妻が過去を振り返り、夫との別れを受け入れて未来に向かう重要なシーンです。夫との様々な思い出、辛い過去から解放される安堵感であり、記憶や感情が湧き上がりながら別のものになることをイメージしてました。また二人が別れた理由に「子供の不在」があります。もし、二人の間に子供がいれば、別れることはなかった。桑原さんには、その欠如を表現しながらもそれを絶望と捉えるのではなく、風や雑踏など、二人が共に歩んで来た中で出会った風景の音を入れて欲しいと伝えました。一方、中野さんには、それぞれのシーンでの妻の感情を音にして欲しいと依頼しました。冒頭、妻の夫への感情は非常に複雑で、様々な思いが交錯しています。最後に向かうに連れて、彼女が別れを決意し、焦点が定まっていくイメージを持っていました。音楽そのものはシンプルにしたかったので、音楽と感じられないくらいのギリギリの線で、最終的に意思決定をした瞬間に、初めて聞こえてくるようにしてもらいました。何度もサンプルを作ってもらい、どの和音が良いか、いつ登場するべきか、試行錯誤して今の形になりました。

Kanoyama_scene1.jpegーーファーストシーン(横に倒れた顔のクローズアップ)が脳裏に焼き付いているのですが、このショットは誰の視点なのでしょうか? その後のショット(押し入れの壁に向かって突っ伏している)を考えると、かなり変わったカメラのポジションのように見えます。

山下 私自身、ファーストカットで作品を判断する傾向にあるので、『かの山』でも象徴的なカットであることが大切だと考えていました。妻にとって、夫との別れは、三半規管が狂ってしまうような強い眩暈を感じさせるものだと思っていたので、上下逆さにカメラを据えるなど色々と考えた末に、横を向いた妻の頭が浮かびました。その映像のイメージに合わせて、押し入れで夫のセーターの匂いを嗅ぎ、別れを惜しんでいる設定に決めました。山田真歩さんには、「かつて隣にいた夫が不在の何もない空間」をイメージしながら演じてもらいました。焦点は彼女の目の前になく、かつて夫と過ごした思い出で、カメラは「過去の夫」の視点と言って良いかもしれません。

ーー主演俳優のお二人(山田真歩さんとカトウシンスケさん)はカップルの間にあったであろう時間の集積を強く感じさせる素晴らしい演技をしています。彼らを起用した理由を教えていただけますか?

山下 カトウさんは、一昨年に長編を撮影するためのパイロット版でご一緒させていただきました。その際にはあまり時間がなく、彼とお芝居を作り込むことができませんでした。ですが、彼の演技が素晴らしく、次回は丁寧に役を作り上げたいと思い、『かの山』の出演も依頼しました。山田真歩さんも、文化庁支援プロジェクトの小さい役を依頼したことがありました。私が入念に演出するというよりは、彼女に委ねて演じてもらいました。その後も、彼女の活躍をテレビなどで見て、素晴らしい役者だと常々思っていました。脚本が完成に向かうに連れ、主役の妻のイメージが彼女にとても近いことに気付き、主演を依頼し、快諾していただきました。二人の演技が本当に素晴らしく、撮影しながら、別れていく二人を見てとても悲しくなりました。強い引力のあるカップルだったと思います。

ーーまた、終盤、山田真歩さんが涙を流しているシーンはその音響とともに強く印象に残っています。他作品でも、女性が涙を流す顔を長回しで撮影するシーンが多く見られます。映画史おいて、涙を流す女性の顔といえば、カール・ドライヤー『裁かれるジャンヌ』(1928)から始まり、ゴダールやガレルの諸作品が思い浮かびます。涙を流す女性の顔を捉える欲望はどこから来ているんでしょうか?

山下 初めてそこに気がつきました。意図的ではないんですが、子供の頃、漫画家になりたくて、沢山書いていたことが影響してるのかもしれません。少女漫画って、やたら涙を流す女の子をクローズアップで、「ポロ...」っとまるで大事件が起きたように描きますよね。その瞬間が、私にとってすごくカタルシスがあるようです。でもよく考えてみると、私の作品の主人公は感情の解放が必要な女性ばかりです。抑圧され、我慢を強いられ、最後にようやく涙を流すことを受け入れる。救いの涙と言えるかもしれません。また、感情を自制する女性がようやく流した涙に、とても親密なものも感じています。主人公の女性が、次のステップ、未来に進んで行くことを象徴しているのかもしれません。

ーー次回作についてお話ししていただけますか?

山下 母親を亡くした経験を元にシナリオを書いているところです。母親を亡くすという経験は「悲しみ」と一言で表せるような単純な感情としてではなく、非常に複雑で、同時に日常的な出来事の一部でもある。多くの人々が体験することにも関わらず、その当事者が語るのではなく周りの人間たちに「悲しみ」として消費されることに違和感を感じていました。それとは逆方向の、通過儀礼としての「母の死」をフラットに描けないかと考えています。

聞き手・構成=槻舘南菜子
第78回ヴェネツィア国際映画祭にて



MomiYamashita_Director.png山下つぼみ(やました・つぼみ)
映像ディレクター/映像作家。1995年から5年間、アメリカユタ州の大学で動物学を専攻し、人体解剖学、進化学を中心に学ぶ。帰国後はテレビ制作会社に入社。その後、フリーの映像ディレクターとして、NHKドキュメンタリー番組を中心に数々の番組を手がけた。同時に自主映画も製作、現在まで短編映画5作品を監督し、国内外映画祭に入選。現在は、子育てをしながら短編映画の自主製作や長編映画脚本の開発、企業CMやwebを軸とした複数のプロジェクトを推進している。











yamashita_the_last_day_0.jpeg『かの山』
2021/日本/19分
製作・監督・脚本:山下つぼみ
撮影:長谷川友美
音楽:中野徳子
サウンドデザイナー:桑原秀綱
出演:山田真歩、カトウシンスケ
東京から南に離れた小さな町「逗子」に住む、ある離婚した夫婦の最後の日。妻が最後の日をやり過ごそうとするなか、夫は妻を散歩に誘う。何も言わずに別々に歩いていた二人だが、最後の一日を良いものにしようという気持ちを共有し始める。しかし、距離を縮めれば縮めるほど、二人の関係はすでに終わっていることに気づく。