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January 13, 2022

『ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男』トッド・ヘインズ
秦 宗平

[ cinema ]

 「これはあなたの物語」などと銘打つ映画が、間接的に、もう少しよく言って、本質的、根本的にこそ私たちにかかわるとしても、私たちの身体に働きかける、もっと言えば身体の中にまで侵入してくるほど直接的であったためしは、ほとんどない。『ダーク・ウォーターズ』は、「永遠の化学物質」ともいわれる汚染物質を取り上げ,世界中の全生物の体内にまで投げかけられる大きな問題を含んでいる(「人類の99.9%に関係する」という数字も、私たちの予感どおり、やがて明示されるだろう)。
 しかし、それにも増して本作が持つ魅力と希少性は、私たちが生きるなかで突き当たる「質量」の困難さと、それらと付き合う先にどのような「光」が見出されるのかをエネルギッシュに描きだしたことだ。

 企業弁護士ロブ(マーク・ラファロ)は、ウェストバージニア州パーカーズバーグで農場を営む男から依頼を受け、化学工業の巨大会社デュポンがその存在を隠し、土や水に垂れ流してきた有害物質の調査を開始する。
 一度目の資料に納得できなかったロブは、再度、裁判所に開示請求を行う。デュポンの顧問弁護士から送りつけられたのは、大量の段ボール箱。これが一口に「大量」と言って片づけられる量ではない。むろんこの中の写真や文書、広告などあらゆるものがつながって真実へのヒントが導き出されるのだが、驚きと喜びの表情をもって一枚の決定的な証拠をようやく見つけ、話がトントンと進むある種の「予定調和」に陥らないのが、本作の感動的な過程である。くまなく目が通されて分類・整理された、(かなり除外・廃棄された様子ではあっても)やはり膨大な資料がていねいにファイリングされ、棚と床に並べられる。ロブはふたたび、ファイルに目を通し始める...

 いよいよデュポン告発のため、ロブは法律事務所の面々を集め、大きな模造紙にキーワードを大きく記しながら論点を説明する。各人の前には、顔が隠れるほど高く積み上げられた資料が1セットずつ。何百の段ボール箱から生まれた報告資料とはいえ、ロブはやはり、尋常ではない量の紙の山を用意してしまう。同僚たちは、巨大企業を敵に回すことに尻込みする。
 ここで、本作品でもっとも胸をうつ雷鳴のごとき一言が、会議室に響きわたる。"Read it!" 「全部読め!」くらいに私は受け取った。ロブが信頼を寄せる上司(ティム・ロビンス)は、彼らがろくに資料を読んでもいないことを糾弾した。すべてに付き合うこと。すべてを読むということ。ロブの倫理観がなみ大抵の人間には通用しないことを、"Read it!"という信念に支えられた叱咤により暴き出す、象徴的な場面だ。そういえばはじめ、ロブは原告男性から、公害の被害を訴えた段ボール一箱分のビデオテープを見るよう、再々促されていた。

 汚染物質が人体にいかなる影響を及ぼしたのかを明らかにするため、ロブたちは地元住民に血液採取の協力をあおぐ。7万人近くのデータが集まり一時は喜ぶも、史上類を見ない規模の疫学調査は、困難をきわめる。今度ばかりはみずからの手で紙をめくり、結果を導き出すことができない。ただ、待つしかない。7年後、膨大なデータと格闘した調査団から、真実を知らせる一本の電話がかかってくる。

 『ダーク・ウォーターズ』でロブにより追及された「真実」とは、善悪を決定づける一つの証拠ではない。紙の山、無数の地元住民という途方もない集まりである。簡単な宝探しをたまにはやめてみよう。世界の果てしない質量と真摯に付き合いつづけ、それを手放してしまわないことだ。待ちに待った一粒の光に身をひたすのも、時にみずみずしい体験となるだろう。

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