« previous | メイン | next »

February 19, 2022

『ウエスト・サイド・ストーリー』スティーヴン・スピルバーグ
梅本健司

[ cinema ]

 ロバート・ワイズ版において、リチャード・ベイマーが演じたトニーは、不良集団で過ごした日々を過去のものにしながらも、怖いくらいに精力的で、露出した肌はテカテカに汗ばんでおり、これから起こる何かをナイーブなまでに期待していた。一方で、アンセル・エルゴード演じるトニーはどこか乾いていて、登場シーンでは総じてメランコリックな表情を浮かべている。「おまえはウエストサイドの伝説だったんだぜ」と兄弟分のリフは言うが、それはトニー自身をどこか現在ではない時制に追いやるようなセリフに聞こえる。スティーヴン・スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』では、それが過去の、もう失われた場所での物語であることが冒頭から明確に示される。俯瞰で捉えられるのは、ビルが建ち並ぶあのニューヨークではなく、都市計画により建物が壊されて灰になり、建て替えられようとしている亡霊の街なのだ。リフがくだんのセリフを言うことになる地下室にも灰が漂っている。「おまえは伝説だったんだぜ」というセリフは、風前の灯と化したウエスト・サイドの灰と響きあっているようにも思えるのだが、灰を積極的にその身に引き受けているのは、トニーというよりもむしろリフや彼が所属する白人系のギャング=ジェッツ、それと敵対するプエルトリコ系のギャング=シャークスの男たちの方である。彼らが一貫して虚しいのは、 彼らの縄張り争いはどう転んだところで、先のないこの街では何の意味もなく過去になってしまうからだ。だからリフのセリフはトニーを過去に追いやるというよりも、自分たちが属している灰色の過去に引き戻そうとするものとして考えたほうがよいのかもしれない。ジェッツの若者たちが灰の積もった地面から飛び出してくるのに対し、トニーは埃を払い、輝く床に反射する自分の顔を見つめている。
 他方、女たちは将来的にこの街から出ることも厭わず、故郷に戻るという選択も眼中にはないようだ。今のアメリカで生き、この先のアメリカで生活しなくてはならないと考えている。たとえば周囲にスペイン語ではなく英語で話すように促すアニータは自分の服飾店を持つことを夢見ており、それに比べれば恋人ベルナルドとの結婚などは二の次だ。彼女を含めた女たちが纏う華やかな衣装には灰などついていないし、ヤヌス・カミンスキーの灰色がかったカメラには溶け込んでいないように見える。男たちが過去を生きようとするのに対して、女たちは未来を生きようとしているようだ。「アイ・フィール・プリティ」が歌われるのが、ジェッツとシャークスの決闘の直前というワイズ版の脚色からブロードウェイ版通りに戻し、男たちの共同体がもう崩壊に向かうしかないとわかった直後であるということが、そのことをより強調しもするだろう。
 しかし、彼女たちによって歌われる「アメリカ」が、男たちの合いの手によって、ただ希望に満ちただけのナンバーとしては聴こえてこないように、彼女たちも過去に引きずられ、楽観的なままではいられない。名高いナタリー・ウッド演じたヒロイン、マリアは運命の出会いが待つダンスパーティーに着ていくことが出来なかった赤いドレスに身を包み、今にも銃弾に倒れそうなトニーに駆け寄って行ったものだが、対して今回のレイチェル・ゼグラー演じるマリアは紺色のドレスを着て恋人に会いにいく。兄ベルナルドによって禁止されていた赤ではなく、彼を喪に服すような紺を着るというのは、その背後にある死にいまだ意識的でいるように見える。あるいは、その色は先ほどまで女たちが身に纏っていた衣装とは反対にウエスト・サイドの青黒い夜にどこまでも同化する。警察の目に留まることなく、トニーの亡骸を抱えた男たちと闇に消えていく彼女の姿もまた亡霊のようなのだ。
 トニーがジェッツとシャークスとの対立から距離を取ろうとしたのはワイズ版でも同じであったが、スピルバーグ版のトニーのとくに浮いて見えるその抽象的な存在からは、リチャード・ベイマーよりも、『リンカーン』のダニエル=デイ・ルイスや、『ブリッジ・オブ・スパイ』のトム・ハンクスを想起せずにはいられなかった。『リンカーン』における「彼は歴史の人になった」というその臨終を知らせるセリフは、リフのあのセリフと似ている。だが、どちらもそれによって彼らが単なる過去の人として片付けられたことを意味してはいない。リンカーンも『ブリッジ・オブ・スパイ』の弁護士ドノヴァンも、目下の対立に関して、どちらの立場に属しているのかというのは明確なはずなのに、そこからは距離をおき、個人の動機や論理こそをその闘いのなかから見出していく。結局決闘を止めに行って欲しくなくなったマリアの願いに反して、それが行われる場にトニー自らの意志で赴こうとするのがスピルバーグ版の特徴のひとつでもある。彼らは映画内のどの集団の代表者としても存在していないのだ。トニーが過去時制で語られることを拒否するかのように、その対立の先を生きようとするかのように見えるのは、かつて藤井仁子が『リンカーン』について述べたのと同様に、彼も紛れもなく現代に生きるわれわれを代表しているからなのかもしれない。
  
『ブリッジ・オブ・スパイ』スティーヴン・スピルバーグ 結城秀勇

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』スティーヴン・スピルバーグ 結城秀勇