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October 20, 2022

『アフター・ヤン』コゴナダ
浅井美咲

[ cinema ]

B1B745E5-15C2-499F-8ADB-F586B4D147CC.jpg  近い未来、「テクノ」と呼ばれる人型AIロボットが一般家庭にまで浸透した世界を描いた『アフター・ヤン』では、ある日突然動かなくなったテクノ、ヤンに一日あたり数秒の動画を記録する特殊なメモリバンクが埋め込まれていたことが発覚したことから、本来感情を持たないはずのヤンに感情が存在したのではないかという謎が深まってゆく。
 ジェイクは、ヤンのメモリバンクに保存されていた数多の動画を一つ一つ再生してゆく。そこには、まだ赤ん坊だった娘ミカがよちよち歩きをする様子、ジェイクと妻カイラが仲睦まじく肩を寄せ合う後ろ姿、豊かな自然、そして見知らぬ金髪の女性の映像が残されていた。動画はいずれもヤンからの視点で記録されており、後ろ姿のショットなど被写体が、ヤンがこちらを見ていることに気がついていないような映像も散見される。
 ジェイクはそれらの映像を見た翌日自らが営む小さな茶葉店で、ヤンのメモリバンクに残されていた、茶葉がポットの中で舞うシーンを思い出す。これは二人が以前中国茶について会話を交わした時の記録だった。この後ジェイクの回想シーンが挿入されるのであるが、ここで私たちは記録と記憶の不思議な関係を目撃することになる。キャメラが、ジェイクが茶をかき混ぜたスプーンを置く/机に手をかける/カップを持ち上げる/香りを嗅ぐ、一連の動作を流れるように捉えてゆく。ジェイクが茶に興味を持つきっかけとなったドキュメンタリー映画『All in This Tea』の一節についてや、茶の中に広がる世界を感覚で感じ取ること、ヤンは幸せを感じているかについてを、ジェイクの店で二人はテーブルを挟んで語り合う。壁一面に茶道具が並べられ、窓の外には陽光に照らされた緑が広がる。近未来という設定から取り残されたような空間で静かに語り合う二人は、自らが歩いてきた軌跡や心を交換し合っているようだ。この回想シーンがとりわけ印象的に映るのは、二人の会話がただ繊細で美しいからだけではない。『アフター・ヤン』では全編を通して、ミディアムショットやロングショットが多用され、キャメラが定点で設置されていることが多い。しかしこの回想シーンにおいては、キャメラは上下左右にユラユラと揺れ、ジェイクとヤンの表情をほとんどミディアムクローズアップ〜クローズアップと近めから捉えている。さらに、セリフが演者の口の動きからズラして聴こえてきたり、リフレインするように同じセリフを繰り返す演出が施されることで、どこか幻想的で朧げなイメージとして提示されるのだ。
 ヤンが残した数秒の動画が被写体の表情や生い茂る葉の色といった詳細を保存しておける「記録」だとしたら、この回想シーンは思い返すたびに擦り切れ、段々と輪郭があやふやになっていく「記憶」を表現しているようだ。記録が記憶を呼び起こす糸口としての役割を果たしているのである。ヤンに感情が存在するか否かについて考察するとしたら、この「記録」と「記憶」が鍵になってくる。そもそも何のために人は大切な瞬間を写真や映像で記録するのか。それは時間が経つたびに色褪せる記憶を補完するためであろう。ヤンは稼働している間ずっと目の前の映像を記録できたわけではなく、一日のうち特に残しておきたいと感じた瞬間を「選んで」数秒記録した。記録自体は「あるイメージを再生するための装置」であり、無機質だ。しかし、目の前の光景をまた思い出すために「記憶しておくために」、記録するという「選択」には、意思、愛があると言えるのではないか。このことから、テクノであるヤンに愛情が存在していたことが読み取れる。ヤンが私たちを愛していた、という事実はジェイク一家にとって救いとなるだろう。
 冒頭、ジェイク一家が自然の中で家族写真を撮るシーンから作品が始まる。ヤンはカメラのタイマーを押す前に、ジェイク、カイラ、ミカが並ぶ光景を記録していた。私の記憶のなかでは、早く隣に並ぶように急かす三人を眺めるヤンの表情には言葉にならない感動が浮かんでおり、かけがえのない家族を慈しんでいるように映った。


10月21日(金) TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー