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November 11, 2022

『アムステルダム』デヴィッド・O・ラッセル
山田剛志

[ cinema ]

e3a2502f710352ddce69b3dd4e073456c5e2fcdf.jpeg全編を通じて、ローアングルから登場人物を仰角で捉えたショットが印象的である。ものの本によると、ローアングルには被写体を力強く、尊大に見せる効果があるというが、定説めいたものは一旦脇に置き、虚心坦懐に画面に視線を注いでみる。すると、重要なアクションが、ことごとく登場人物の目線より下、厳密に言うと"腰の高さ"で行われていることに気が付く。
 主人公のバート(クリスチャン・ベール)が、第一次大戦の戦友にして終生の友であるハロルド(ジョン・デヴィッド・ワシントン)に呼び出され、棺に収まったかつての上官と対面するシーンから物語は大きく動き出す。ストレッチャーで運ばれてきた棺は、登場人物の腰の高さにあり、悲痛な表情を浮かべるバートとハロルドは、棺を基点としたカメラポジションから、あおり気味に映される。その後、遺体は秘密裏に運び出され、バートの立ち会いのもと、女医のイルマ(ゾーイ・サルダナ)によって解剖されることになるのだが、こなれた手つきでメスを振るう彼女のアクションは腰の高さで行われ、遺体を見下ろす2人のやりとりは仰角のツーショットによって示される。序盤の展開において、ローアングルの拠り所となっているのは横たわった遺体であり、それは腰まわりのアクションを喚起すると、一先ず言えるだろう。
 興味深いことに、本作では登場人物の腰そのものにもフォーカスが当てられる。バートは敵の砲火によって右腰に損傷を負っており、ギブスに覆われた痛々しい傷跡は一度ならず映し出されるし、彼を付け狙う刑事の一人も右腰に戦傷があり、バートの手によって大量のモルヒネが注射される様子は、やはり低い視座から入念に描写される。腰そのものがクローズアップの対象となるという点も、ローアングルを要請する契機の一つとなっているだろう。それに絡めて注目したいのは、要所要所で登場人物が"前方にぶっ倒れる"という事態である。
 我々は上映中、バートが精神安定剤を口に放り込んでは、副作用(あるいは薬効?)によって意識を失い、うつ伏せに倒れる瞬間に何度も立ち会うことになるし、その度に義眼が床に転がり、コツンといった乾いた物音を聴くことになる。マーゴット・ロビー演じるヴァレリーもまた、薬の作用によって常に転倒のリスクにさらされており、約3年ぶりの映画出演だというテイラー・スウィフト扮するリズに至っては、鳴り物入りで登場するや、何者かによって背中を押されて路面にダイブし、車に轢かれて早々と命を落とす。前方にぶっ倒れる人物たちは下方(正面)から映される場合もあれば、上方(背後)から見下ろされる場合もある。つまり、転倒の瞬間を捉えるカメラの位置は、必ずしもローアングルに限定されているわけではないのだが、ぶっ倒れる間際の、転倒しまいと必死に耐える人物の挙動は、やはり低い視座から克明に捉えられる。
 その最も顕著でスリリングな例は、バート、ヴァレリー、ハロルドの3人がロバート・デ・ニーロ扮するディレンベック将軍の自宅を訪れるシーンに見られる。このシーンで転倒の危機に陥るのは、ヴァレリーだ。車から降りるや発作に見舞われ、不安定な足取りで将軍邸に近づく姿は、傍目からは酔っぱらいにしか見えない。一度は門前払いをくらうも、再び呼び戻された3人は、今にも倒れそうなヴァレリーをセンターに据えた横並びの隊列を組み、ゆっくりと歩みを進める。ぎこちない足の運び、腰の位置で握られた手、切羽詰まった表情は、来るべき転倒に備えるかのようなローアングルによって捉えられ、「またぶっ倒れるのではないか」というスリルを醸成しながら、持続する。終盤に至るにつれ、ローアングルのカットは転倒を予兆し、画面に緊張感を走らせるようになるのだ。思わず、そう断言したい誘惑に駆られるのは、腰を撃たれた(またしても!)バートが、走馬灯のように過去の記憶を蘇らせるクライマックスにおいても、恍惚とした表情を捉えた仰角のショットによって、同様のサスペンスが発動しているからだ。
 ここで倒れたら2度と起き上がることはできまい。果たして、バートは転倒することなく事態を乗り切ることができるのか。問いは開いたままにしておこう。しかし、臨終を迎えんとしているように見えたバートが、観客の心配をよそに、実はドラッグの薬理作用でトリップしているだけだったことが判明した瞬間、驚き、呆れ、吉本新喜劇よろしく椅子から前のめりにずっこけたくなった。ということだけは記しておきたい。
 最後に、ローアングルをめぐる重要な細部に触れて、この文章を閉じよう。クライマックスを形成する戦友会のシーンにおいて、フィルムカメラを愛用するヴァレリーは、ディレンベックを担ぐために集まった、親ナチの危険分子3人にレンズを向ける。ヴァレリーはセカンドバッグを持つ要領で、腰の高さにカメラを据え、ローアングルから3人の姿を捉える。筆者が見るかぎり、ヴァレリーがローアングルを採用するのは、敵にカメラの存在を意識させないためであり、そこに美学的な狙いは見出しがたいが、低い視座から仰角で映された3人の脂下がった表情は、定説に反して、たくましくも尊大でもなく、ただただ憐れで空虚であった。

大ヒット上映中