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February 21, 2023

《ロッテルダム国際映画祭報告》『とおぼえ』川添彩監督インタビュー

[ cinema , interview ]

ロッテルダム 虎.jpegパンデミックを経て、三年ぶりにロッテルダム国際映画祭が1月25日から2月5日まで現地開催された。今年、大規模な組織改革によって多くのプログラマーが映画祭を去ったが、ディレクターの交代によってスタッフが一新するのはどの映画祭でも当たり前のことだろう。映画の現在を追い続けるために、数年ごとにアーティスティックディレクターが変わり、映画祭は生き物のように変化していく。しかしながら、創立以来、強い実験性と前衛性を特色としてきたはずのロッテルダムのアイデンティティが年々薄らいでいるのは確かだ。コンペティションのみならず、多くのヨーロッパの国際映画祭と同様、「多様性」が主題ですらなく、監督の出自やカメラの前に立つ被写体に依拠し、作品のフォルムとなる美学はもはや皮相にとどまっている。ロッテルダムは一体どこに向かっているのだろうか?そんな中、コンペ外ではあるが短&中編部門にノミネートし、異彩を放っていたのが短編『とおぼえ』だ。細部の演出への思考と研ぎ澄まされた感性を持つ恐るべき子ども、川添彩監督にお話を伺った。

槻舘南菜子


川添彩『とおぼえ』スチール.pngーーーこれまでの作品においても、現実と夢、彼岸と此岸、過去と現在といったさまざまな境界線の揺らぎをある種のテーマにされてきました。川添監督の世界観に内田百閒作品が共振するのは明らかだと思うのですが、なぜ今回『とおぼえ』を原作にしようと思われたのでしょうか。

川添彩(以下、川添) 内田百閒の作品が大好きであるということは言わずもがな、他にもさまざまな理由がありますが、『とおぼえ』という短編作品を映画にしようと決めたのは私の先生である青山真治監督の一言がきっかけでした。
当時、大学を卒業したばかりの私は、ふらふらとフリーター生活を営みながら映画を何度か撮影するも、完成には至らぬ日々を送っていました。そんななか、青山さんがプロデュースした甫木元空監督の『はるねこ』(2016)という作品が完成し、上映も落ち着いた頃、「次は、川添かもう1人のどちらかの作品を同じようにプロデュースするから企画を持ってきなさい」とおっしゃっていただき、「この機を逃したらまずいぞ」と急ぎ、使われることを待ち望んでいた頭をフル回転させて企画を考えました。
その最中、まだお酒を嗜まれていた青山さんと雑談した際に百閒さんの話になり、「百閒の中だったら『とおぼえ』を映画化したい」と青山さんが言うので、「それはなぜです?」と尋ねると「はじまりの『すいをください』という台詞が妙でいいじゃないか」と私がセブン-イレブンへ使い走りにさせられて購入した赤ワインを片手に、不敵な笑みを浮かべ(たように見え)る青山さんが応えました。
当時、内田百閒作品をさほど読んでいなかった不勉強な私は、すぐさまちくま文庫の『サラサーテの盤』を購入、熟読の後、まんまと『とおぼえ』を原作としたロングプロットを書き、恐る恐る青山さんに渡しました。怪訝な顔をしていた(ように見えた)青山さんに「これではまだ無理だろう」と一蹴され、およよと狼狽えながらも、その後も構想を練り続けていました。
あれよあれよとプロデュースの話も流れ「これではまずい」と一念発起、東京藝術大学大学院に入学し、黒沢清監督と諏訪敦彦監督のもとで「ナラティブとはなんぞや」を学び始め、修了制作に満を持して『とおぼえ』を原"案"とした作品を制作しました。青山さんに観ていただくことは叶いませんでしたが、「もしも、観ていただいていたら...」と想像するだけでお腹が痛くなります。しかしながら、私は『とおぼえ』で初長編映画の制作を企てているので、青山さんの日付のない日記『宝ヶ池の沈まぬ亀』(boid、2022)を読みながら(唐突な宣伝)、ひいこら、どうにか、映画にしたいと考えています。

ーーフィルムの朽ちていく物質性は、境界線の揺らぎを表すのに強く寄与しているように見えます。これまでデジタルでも撮影されていますが、フィルム撮影が作品自体に与える影響はありますか。

川添 フィルムで撮影することは、"何か特別な、精神的な、感情という見えないものへ訴えかけるような撮影行為なのだ"などという考えは全くもってさらさらなく、映画の主題を表現するために選択するためのさまざまなメディアの中の一つの手段でしかありません。フィルムでの撮影行為自体が何か作品へ影響を及ぼしているかどうかというのは、私にとってあまり重要なことではないです。ただ、フィルムであることによって得られる像があり、その像を得るために私はフィルムを使用する頻度が高いと言えます。
デジタルカメラは光を撮像素子により信号へ変換することで像を発生させますが、フィルムは光学反応により像を定着させます。フィルムは目を離した隙に(これは物理的な意味でも)、自分の知らぬところで思わぬ光を受け、想像し得なかった像を創造する可能性があるということです。その原理を利用し、『とおぼえ』では私がデュープと呼んでいる、すでに像が定着されたフィルムを未現像のフィルムへ転写する作業を行なっています。また、キャメラマンには部分的に感光するよう、わざと、どうにか、光をいれてくれないかと頼みました。例えば、撮影中にファインダーから目を離し、撮影中のフィルムへファインダーから光を取り込む、といったことです。(ただし、これはあまり上手くいきませんでした。)
『とおぼえ』は主人公の弟の死顔が自分の顔になっており、主人公自身の存在に揺らぎが生じます。どこにいれば自分は"在る"のだろうか、時間や記憶や夢や想像、引いては自分の名前であったり修飾する言葉であったり、そういったものに一度疑いを持つ。一度、光を当てたものにもう一度光を当てる。自分の輪郭が溶け出し解け出す、今回の主題にはフィルムで得られる像が必要でした。

ーー川添監督の作品は子どもの存在が欠かせません。不可解であり、単なる無垢さにとどまらない存在のように見えます。『とおぼえ』でも主人公を取り巻く子どもたちが登場しますが、子どもの表象についてお話していただけますか。

川添 映画制作をはじめたばかりの頃、私とひと回り年の離れた弟が異質な存在である気がしてならず、そのことを主題にすることが多くありました。個が言葉や環境を得て、さまざまな名になりゆく姿を初めて見ることになったのが弟でした。子どもは、今その時、そこに"在る"ということに最も近いように思います。過去や未来という時間軸に対しても"いま"という在り方の態度を取ることからも、私の作品における子どもは"いまここに在る"というものの象徴のように思います。

ーー主演の飯田芳さんはとても印象的な顔立ちをされています。彼を起用した理由を教えていただけますか。前作『とてつもなく大きな』(2020)にも出演していた佐々木詩音さんの繊細な佇まいとのコントラストが印象的でした。

川添 短編映画ですので、"弟の死顔が自分の顔になっている"ということを特に印象付けるため、顔立ちが特徴的な飯田さんに出演をお願いしました。前作『とてつもなく大きな』では、その名の通り、「あるとてつもなく大きな、圧倒的に自分を凌駕する"何か"との対峙」が主題であり、映画に出てくる人々は"或る人"しかし"在る人"として、ある意味、匿名性を必要としていたので、前回のキャスティングへの考えからは大きく変わりました。

ーー『とおぼえ』は、パイロットバージョンとして制作されたそうですが、初長編に関して話していただけますか。

川添 どの作品も「私の夢の中に出てくる彼は一体誰なのか、彼の夢にいるのが私なのか」ということを根幹に据えて制作しており、初長編作品でもその考えを大事にしています。時間と存在は不可解なものであります。
作家の吉田健一が小説『金沢』の中でこう述べています。「内山は杯を挙げる毎に自分が自分でなくてもっと何なのか、大きなものだっただろうか。(中略)それならば自分ということを固執することもなさそうで、ただその聞えない水の流れの音を聞く意識さえ残っていれば自分が他人であっていい筈だった。そういう自分と他人はどう違うのか。」そこへ続く言葉は「その間も月の光は差していた」。
思案する人々、揺らぐこと。夢の中で嬉しそうに語らう彼は誰なのか。時折、目が覚めて「何かとても大きな悪いことをしていたのではないか、例えば人を殺して名を変えて逃げているのではなかっただろうか」という思念に囚われることがあります。その時はとても緊張し、少し時間が経つと、「そのようなことはないのだ」と気を取り直しますが、それは深い潜在意識なのでしょうか、だとしたらそれは一体誰でしょう。それでも月や水の流れは「ただそこに在る」...ということをどうにか長編映画にできたらと考えています。

ーー今回、ロッテルダム国際映画祭に初参加されました。映画祭やプログラムの印象についてお話いただけますか。

川添 ロッテルダム国際映画祭全体に言えることではなく、あくまでも私の作品が含まれたプログラムの印象ですが、「世界にはまだ"わけわからん"ものを受け入れる度量があるのだな」と思えたのが嬉しかったです。
もっとわかるように、筋が通るように、ナラティブとはそういうものだという風潮のある日本映画ですが、???と頭の上に飛び交ったとしても、拙くても、パワーがありバカだなと思えるものを同世代の作家が制作し、それを国際映画祭が受け入れて発信しているということが最高にhappyでした。


川添監督と仲間達(同じプログラムで上映作品があった監督たち).jpeg私の手とレオ・ソエサント 川添監督撮影.jpeg川添監督&セラ.jpeg
とおぼえ
2022年/日本/23分
原案:內田百閒
監督・脚本:川添彩
出演:飯田芳、佐々木詩音、高田静流、鈴木卓爾、髙橋洋 ほか
<あらすじ>
⻘田周作は弟の死に顔に自分自身をみる。どこからともなく聞こえる、どこで鳴いているのかわからないとおぼえ。弟の記憶。周作は自分がどこに立っていて、どこにいるのか、どこに在るのか、わからなくなる。
ロッテルダム国際映画祭2023