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May 9, 2023

『レッド・ロケット』ショーン・ベイカー
山田剛志

[ cinema ]

S__60227587.jpg 西海岸に面したエンターテイメントの都・ロサンゼルスからメキシコ湾に浮かぶ石油化学工業で賑わうテキサス州の港町へ。主人公・マイキー(サイモン・レックス)を乗せたバスは、故郷・ガルベストンの地に彼を運ぶ。着の身着のままのマイキーはバスを降りると、脇目もふらず、10年近く疎遠にしていた妻のレクシー(ブリー・エルロッド)とその母・ソフィーが暮らす平屋を訪れることになるのだが、バスを降りてから家に着くまでの、マイキーのせっかちな歩行を捉えた短いショットの連なりは、工場の煙突から噴出する炎と煙、取り壊しを待つばかりの廃墟を豊かに取り込むことで、文化果つるところと呼ぶにふさわしい土地のムードを的確に伝える。
 「2,3日、家に住まわせてほしい」。顔と腕に痛々しい内出血の痕が見られるとはいえ、長らく疎遠にしていた夫の懇願はいくら何でも不躾が過ぎる。レクシーは警察への通報を示唆することでマイキーを敷地の外へ追い出すことに成功するが、カットが替わり、舞台が裏庭に移ると、両者の距離はなぜか縮まっており、椅子に腰かけてタバコをくゆらせ、愛犬の頭を優しくさすりながら、窮状を訴える夫の声に耳をかたむけるレクシーの態度は明らかに軟化している。このショットにおいて目を引くのは、いかにも頼りない足取りで、レクシーの眼前を何度も横切るマイキーのアクションだ。マイキーは動きを止め、しゃがみ込むと「シャワーを浴びたい」と呟く。セリフを合図にカットが切り替わると、難攻不落に見えた家の敷居をまんまと踏み越え、浴室でシャワーを浴びるマイキーのバストショットが示される。その後、彼は義母・ソフィーからも滞在許可を得ることに成功するが、ここでも、ソファーに座ってテレビ画面に視線を注ぐ彼女の眼前を、やや前傾姿勢で申し訳なさそうに横切るマイキーのアクションが見られることに留意したい。
 程なくして我々は、マイキーがかつて「ポルノ業界のオスカー」として名高いAVNアワードの"ベストオーラル賞"を3年連続で受賞した、界隈ではそれなりに名の知れたポルノ俳優であることを知る。しかし、あろうことかマイキーは、"ベストオーラル賞"の栄誉が、女優のパフォーマンスではなく、女性をコントロールする自身の下半身の働きを称えるものであると信じて疑わず、引用するのも憚れるようなミソジニズム剥き出しの言葉をたびたび吐いて、スクリーンに向き合う観客の態度を幾度となく硬化させる。一方、働き口を探すため、レクシーから借りたピチピチのTシャツを身にまとい自転車を走らせ、彼女の言いつけに従って庭の芝刈りに励み、時には夜の相手を勤め上げ、行為が終わるやそっと自室に戻る姿は、いかにも献身的で憎めない。また、それぞれのシーンで見られる画面を横切る身振りは、傍若無人という言葉に似つかわしくない健気さで観る者の心に武装解除を迫り、視線をスクリーンに繋ぎとめようとする。
 レクシーとの性行為の前にマイキーが必ず口にする魔法の青い錠剤は、加齢に伴う性機能の低下を補う役割を果たしているように見える。しかし、映画後半で他ならぬマイキー自身の口から明らかにされるように、それは現役時代から下半身に活力を与えるために欠かせないアイテムであった。加えて彼が一生の誇りとする "ベストオーラル賞"の栄誉が、どう考えてもマイキーの力能に帰せないことを鑑みても、彼のポルノ俳優としての資質には疑問の余地があると思わざるを得ないし、自慢と自己弁護ばかりを繰り返す彼の言辞は、逆説的に自信のなさを浮き彫りにしているように思える。本人もそれを無意識のうちに感じとっているのか、バイトの面接官には、自身が元・ポルノ俳優であることを臆面もなく打ち明ける一方、一目惚れの相手であるストロベリー(スザンナ・サン)に対しては、自身の正体をひた隠しにする。
 ストロベリーの登場以降、顕在化するマイキーのダブルスタンダードは、身振り・運動面にも見られる。ドーナツ屋で働く彼女とフェイス・トゥー・フェイスの会話で心の距離を縮めたマイキーは、レクシーとソフィーが暮らす家の敷居を軽々と越えてしまったように、知らぬ間に境界(カウンター)を飛び越え、横並びの関係を成立させてしまう。それ以降、両者はカウンターの内側でスキンシップを図り、ストロベリーがハンドルを握るピックアップトラックでマリファナをまわし喫みするなど、関係を深めていくのだが、興味深いことに、マイキーはレクシーやソフィーに対する時とは異なり、ストロベリーの眼前を横切ることはしない。ストロベリーの傍らにピタッと寄り添い、彼女の呼吸と足並みに自身の呼吸と足並みを重ね合わせる、ペアダンスの競技者を思わせるマイキーの身振りから感じとれるのは、媚態とは質を異にする、彼なりのジェントルマンシップだ。中盤に至ると、ストロベリーのセックスフレンドの介入によって、マイキーは一瞬、ストロベリーとの横並びの関係を放棄せざるを得なくなるが、このシーンでも、マイキーは彼女の前を横切ることを自身に許さず、図々しくもストロベリーの前を横切って接近を試みるセックスフレンドの身勝手さを際立たせる。
 マイキーは上記のシーンで、セフレ男に自身の正体を明かすことでその場をやり過ごすが、後にそれが仇となり、ひた隠しにしていた過去がストロベリーに知られてしまう。ジェットコースターの機上で、彼女から自身が出演したポルノ動画を見たと告げられたマイキーは顔面を硬直させ、断末魔の叫びを上げる。しかし、カットが替わり、舞台が観覧車内に移行しても2人の横並びの位置関係は変わらない。それどころか、両者の距離はより縮まり、親密さを増している。このシーンでストロベリーは、マイキーの"正体"をあっけらかんと肯定し、マイキーのダブルスタンダードは解消される。カットが切り替わると、観光客で賑わう通りを横並びで歩く2人の姿がバストショットで捉えられる。『レッドロケット』全編において最も素晴らしいと断言したい気持ちに駆り立てるこのショットが忘れがたいのは、ふとした弾みで身体をスライドさせ、位置関係をチェンジする2人の動きがダンスのように映し出されているからであり、ストロベリーに自身の前を横切らせるマイキーの身振りが、それまで彼が見せてきたアクションの変奏となっているからに他ならない。
 ここまで見てきたマイキーの身振りの数々は、観客の視線をスクリーンに繋ぎとめる上で極めて重要な働きを果たしていると思う一方、物語の運行に影響を与えることのない単なる細部にとどまると言えるだろう。マイキーを悩ませると同時に、傍目から見ると彼を魅力的にもしていたダブルスタンダードが解消されて以降、対象の眼前をサッと横切るマイキーの身振りからは、それまでの健気さが消え、傍若無人さが際立つようになる。その最たる例は、気の良い隣人・ロニーとのドライブ中、マイキーによる急な右折指示に従った車が、後続車の玉突き事故を誘発するシーンだろう。しかし、驚くべきことに、複数の死傷者を生むなど、甚大な被害を及ぼすことになるこの事故もまた、物語の運行にもマイキーの人生にもほとんど影響を与えることはない。運を味方に付け、周囲の迷惑も顧みず、スクリーンを横切り続けるマイキーの運動を見るにつけ、一度はすっかり彼の身振りに魅了された我々の視線は再び硬く、厳しさを帯びたものに変わっていく。終幕に近づくとマイキーは、観客の視線を繋ぎとめるための最終手段として、一糸まとわぬ姿でスクリーンを横切ることになるが、それまで散々彼に振り回されてきた我々に、彼のアクションを笑い、肯定する体力と気力はもはや残されていない。

全国上映中


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