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May 23, 2023

第76回カンヌ国際映画祭報告(3)ワン・ビン監督とともにーー『鉄西区』に魅せられて

カメラマン、前田佳孝インタビュー《後編》

槻舘南菜子

[ cinema ]

WANG B photo 1.jpegーーその後、北京電影学院の監督科に入学されます。ワン・ビン監督との出会い、彼と共犯関係を結ぶようになった経緯を教えてください。助監督として参加した『収容病棟』(2012)がワン・ビンの現場に関わった最初の作品ですね。

前田佳孝(以下、前田) 映画美学校に行ったことで映画への道は前進しましたが、大学へ進学するための勉強はまったくしなかったので、当然のように受かるはずもありませんでした。親からは「どうするんだ」とプレッシャーもかけられましたが、中国へ進学すると言えば物事はすぐに展開しました。北京電影学院に進学する目的で中国に行くつもりだったのですが、親としては「人民大学とかどこか適当なところに入学してくれればそれで良い」と。そういうこともあって、中国に留学する運びになりました。家系は中国系でしたが、中国語ができなかったので、まずは語学留学のために人民大学の語学留学生として1年在籍しました。ところが数ヶ月にはろくに授業も出なくなり、2年目には北京語言大学に語学留学生として留学することになります。結局、どちらもろくに授業に出ることはなく、宿舎で海賊版DVDの映画を観るばかりの時間を過ごしていたのですが、中国人の友達と遊んだり、新聞を読んだり、テレビを観たり、あとはテクストを買ってこなす方法で勉強した結果、ようやく2年越しに北京電影学院の監督科へ入学することになります。実は撮影科を先に受験していて、合格してはいたんですね。最終的には監督科を選んだのですが、今思えば多少なりとも技術を身につけられる撮影科のほうが良かったんじゃないかと思うことはあります。当時は22歳でクラスの最年長でしたが、電影学院の生徒は極端に貧乏かブルジョアかのふたつに分かれる傾向がありました。私が入学した2006年の監督科(たまたまドキュメンタリーコース)ではブルジョア家系と思わしき18、19歳の生徒が多く、ワン・ビンがいた頃はおろか、ジャ・ジャンクーがいた頃とも違い、監督科ではシネフィル気質の同窓生は一人もいなかったですね。
 ワン・ビンとの出会いは、「北京纪录片交流周」という北京で行われたインディペンデントドキュメンタリー映画祭でした。ワン・ビンがコンペの審査員の一人だったんですが、『鳳鳴(フォンミン)― 中国の記憶』(2007)のポスプロで素材の書き出しがうまくいかず、映画祭に遅れて参加した時です。その時私は、ふてぶてしくも前述したDVカメラでワン・ビンを撮りながら、初めましての対面をすることになります。この北京纪录片交流周という映画祭に行く前に、雲南、大理で行われた「云之南纪录影像展」というドキュメンタリー映画祭にも参加していました。自分で撮影する習慣は大学入学後もちょくちょく継続していて、云之南纪录影像展は、当時政府の弾圧もあり、クローズドな内部交流という形で行われました。その前に中止という話もあったのですが、主催に電話して「とんでもない、私は何が何でも行くー!」と予告して、結局その内部交流に参加しました。
 ちょうどこの頃からそのあいだに起きた出来事やドキュメンタリーの映画作家をずっと撮影していたんですが、その際に知り合ったのが「黄牛田电影」のメンバーになります。その中で「前田、朱日坤は知ってるか?北京の映画祭の主催者なんだけど、お前はぜひそこにも行って撮るべきだ」と言われたんですね。興味もあって、その流れで北京纪录片交流周でカメラを回していたら、そこに現れたのがワン・ビンでした。
 ワン・ビンに初めて会った時は、緊張しながら「あなたの映画を観て、その経歴に騙されて中国に来ました」と伝えました。またその後ワン・ビンとは、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で中国ドキュメンタリー映画勢と一緒に遊びに行った際に話したり、山形市内を散歩したりもしました。ある時、北京電影学院のそばをワン・ビンが歩いていたのですが、挨拶すると「ちょうど近くで『原油』(2008)のポスプロをやってるから遊びに来てよ」ってことで、電影学院教授の张献民が借りているアパート兼スタジオみたいなところに行って、テープに書き出し中の『原油』を観ながら交流したこともあります。その頃にはかなり打ち解けてはいましたが、もともと憧れの監督だということもあって図々しく「現場に参加させて」とはまだ言えませんでした。だけどのちにワン・ビンが高山病にかかるんですが、不安定だからホテルで付き添ってほしいということで、アテンドをしたことをきっかけに大分打ち解けたという感じです。
 『三姉妹〜雲南の子』(2012、以下『三姉妹』)撮影後くらいの時からは何度かお宅にお邪魔して遊びに行くようなこともあって、ついでに今度「新しいプロジェクトがあったら誘ってよ」と話したところ、「いいよ」ということで、それからは企画開発の連絡などでお手伝いするようになりました。助監督として参加した『収容病棟』(2013)ですが、撮影現場に行ったのは精神病院の入り口までで中には一度も入っていません。私の仕事は主にDVテープの素材書き出しと簡単に整理して撮ったデータをすんなり編集に移行するための下準備の仕事でした。現場に呼ばれてからは、当然私も撮影現場で仕事をするものだと思っていました。場所が精神病院なので日本人が入ってトラブルに巻き込まれて話がややこしくなるくらいなら、後方支援の仕事で割り切ったほうがいいという判断によるものでしたが、自分としては撮影現場で仕事がしたかった。なので正直なところ、初めての仕事としてはフラストレーションがたまりました。とはいえ、素材の書き出しで観るラッシュは刺激的な体験で、カメラワークを知るという意味では非常にためになりました。最初はラッシュを一緒に観て討論する気力はあっても、しばらくするとクタクタで、そういう体力は残っておらず、映画の仕事としてはかなり地味なものでしたね。
 ただ『収容病棟』以外の話をすると、実はその撮影が始まる前に『三姉妹』の三姉妹が暮らす「喜洋塘」という村に黄文海と二人で登って、半月くらいのあいだに彼の撮影アシスタントをしました。『三姉妹』以降、「喜洋塘」の村単位でドキュメンタリーを撮るというプロジェクトがあり、『収容病棟』の病院の撮影許可が下りるまでのあいだに何をしようということになり、だったら時間を有効活用するためにそちらの撮影に行って来いということだったんです。実はワン・ビンの作品としては、未完成のそちらの作品に先行して参加してます。この作品はワン・ビンが高山病になってから村まで上がれなくなってしまい、行ける人で撮るという予定だったのですが、もしかするとお蔵入りになるかもしれません。
 『収容病棟』では映画監督のJung Sung-ilと知り合い、仲良くなりました。撮影中のあいだ、私たちはワン・ビンの友人宅に下宿していて、彼とは同じ部屋で映画についてよく語らいました。昭通の街も一緒に散歩したので、良い思い出です。逆に彼が撮影を終えて韓国に帰ってしまった時は大分寂しくなりました。Jung Sung-ilは、『Night and Fog in Zona』というワン・ビンのドキュメンタリーを撮りに来ていたんですが、前述した話も本編に出てきますし、非常に良い作品なので機会があればぜひ観てほしいです。私も室内でディスカッションしているシーンで登場してます。彼は韓国人なので、私と同じであまり精神病院に頻繁に出入りしないほうが良いだろうという判断のもと、撮影は女性カメラマンのLiang Genrongに指示を出したり、ディスカッションをしたりといった形でした。多分ご本人は2、3回はあの病院には入ったのかしら。

ーー『収容病棟』後、オムニバス作品『Venezia 70 - Future Reloaded』(2013)に続き、『苦い銭』(2016)にも参加されることになります。また『Venezia 70 - Future Reloaded』では初めて撮影を務められていますが、ワン・ビン映画の「眼」になる体験とはどのようなものだったのでしょうか。

前田 『Venezia 70 - Future Reloaded』では、撮影の2日前くらいに「今度短編の撮影があるから、スケジュールを空けといて」という連絡が入っていたのですが、当日になって「車でピックアップするから家で待ってて」と言われ、現地に到着するまで何の撮影をするのかすら分かりませんでした。だけど現場に着くと、『名前のない男』(2009)のおじさんがいてビックリしました。結局私は、この作品でワン・ビンの撮影助手兼助監督みたいな形で関わることになります。ポスプロ、ミックスも参加しています。『苦い銭』よりも『Jeunesse 青春』(2023、以下『青春』)というと分かりやすいかと思いますが、『苦い銭』は『青春』の撮影素材を内容で分けて別に完成させるという話を聞いていたので、撮影場所や時期は被るけども、内容やテーマは違うといった感じです。また『収容病棟』でのフラストレーションもあって、今度制作に参加する場合は撮影をやらせてほしいと先に伝えてました。そうじゃなきゃ参加しないと。カメラは2台あったので、別行動でそれぞれ撮影しようというプランでした。これも事前に細かい説明はまったくなくて、現地に着けば分かるという感じです。撮影プランの細かい指示はありません。ただ初めてワン・ビン作品の撮影を担当するわけですから、最初の数日間は彼のカメラアシスタントをやりました。あとは撮影初期の頃に言われた「フィックスで長く撮れ」というアドバイスを参考にしました。ですから最初の1週間くらいは、素材のチェックをされてダメ出しもされました。最初の半月程は難しさを感じましたけど、同時に撮影に入っていける実感もあったので「何だ、こなくそ!」って感じで、ワン・ビンに張り合うつもりで撮影しています。ある程度それで撮ることができるようになれば、あとは自分で判断して主体的に撮影することになります。この作品の撮影が難しいのはワン・ビンも同じことで、『鉄西区』(2003)と違って大分難しいとは言ってました。大まかなスタイルや作品のテーマは共有し、撮影後はお互いにラッシュを観てディスカッションしたり。人物の関係性や流れは話し合いますが、詳しく設計するといったことではありません。ですから「眼」になるということはあくまでも撮影として、私が主体的に感じたものを主体的に表す表現だということになります。
 編集はワン・ビンが選択するので、私の仕事は撮影としてその選択の幅や可能性を広げ、あわよくばワン・ビンの形式に良い意味で変化を及ぼし、作品として豊かになるようにすることです。すべての形式は撮影する対象者や世界から感じるもの、受け取るものから形づくられなくてはならない。計算された具体的な撮影プランはありません。ただ、ワン・ビンの撮影から学ぶ謙虚さ、人とのコミュニケーションの仕方やカメラワーク、カメラポジションの選択、空間認識と予測など色々ありますが、実践においてはあらゆるものから学んで発揮される部分もあります。しかし、これはワン・ビンもそうですが、あくまでも私がその場で感じる、人々の世界の魅力に対する「反射」という意味での撮影を心がけています。

Wang Bing photo 2.jpegーー前田さんが2014ー2015年に『苦い銭』のために撮影した映像が、『青春』でかなり使用されているとお聞きしました。ワン・ビン監督の編集における選択についてお話いただけますか。

前田 自分の仕事に自信を持ってワン・ビンに張り合う撮影、何ならワン・ビン以上の撮影の仕事をするんだっていう心意気によるものです。ただ最近までどのくらいの尺が使われてるのか、怖くて聞けなかったというのが本音ですね。良い撮影ができたという実感はあるので、その自信はありましたけど。『苦い銭』は『青春』よりも先に完成させるプロジェクトだという話は聞いていたので、少し残念ではありますが、もしかしたら『青春』と素材を混ぜたくないという判断があったのかもしれません。一応私が撮っている被写体としてストライキを撮ったりもしていたので『苦い銭』と主題が被る部分もありました。だけど『苦い銭』が先に完成するプロジェクトだと聞いていたし、事前に連絡を受けていたので特に気にしてはいません。カットされたというよりは、そもそも私は「青春」をテーマに撮影していたので、たまたま撮影素材で活かせる部分がなかっただけだと思います。それにしても2015年に撮影を離れてからの完成になりましたから、大分待ったというのは正直な気持ちです。ワン・ビン自身は2019年まで『青春』の撮影を続けていたと聞いていましたが。

ーー『青春』が素晴らしいのは、裁縫工場で働く若者たちの置かれている過酷な労働環境を安易に告発するのではなく、彼らの生きる日常に目を向けている点です。生き生きと仕事をし、はしゃぎ、恋をし、寝そべって言葉を交わす、彼らの姿に魅せられました。カンヌで作品を拝見されてどう思われましたか。

前田 そもそもこの作品に臨むにあたって、何かを告発しようという目的はありません。とくにストライキのシーンを撮らせてもらった労働者だけでなく、そのオーナーにも心から感謝しています。みんないい人で感謝しかありません。ですから何を撮ったのかと言えば、あくまでも私が彼ら一人ひとりの、その生活の様子が魅力的だと感じ、美しいと感じ、心を打たれたことにあります。給料を巡って雇い主と討論することもありますが、これはどちらにとってもとても重要なことです。カンヌでのプレミアを観るまでは少しナーバスになることがあり、実はこちらに着いてからはそれなりに緊張していました。何せ8年越しの完成でまだ作品を観てなかったわけですから。完成するまで観ないと言ったのは私ですが(笑)、完成前にワン・ビンからは、「いくつかのシークエンスのリンクを送れるけれど観るか」と聞かれたりもしていました。だけどプレミアを観た後で分かったのは、私の撮影現場での情感というのがちゃんとフレームに宿っていて、とても自信が持てました。彼らの姿に魅せられたのは他でもなく私自身で、その彼らの姿が作品を観る者を魅せるというのならば本望です。撮影中、相手には見せないように努力しましたけど、目の前の人々の姿、その動き、時間と空間に魅せられ、心を打たれ、何度も泣きそうになりました。だからプレミアでは心置きなく泣けましたね。撮影が終わった後も、そして作品を観た後も、頭の中で何度もそのことを考えるでしょう。彼らと過ごした時間は、何よりも大事な美しい人生=映画体験です。それを感じてもらえればうれしいです。


『青春』スタッフ一同.jpeg前田佳孝(まえだ・よしたか)
1984年生まれ。ワン・ビン監督の『鉄西区』(2003)に感銘を受け、北京に留学。2年間の語学勉強の後、北京電影学院に入学し、監督科を卒業。その後はワン・ビン作品の他、ロカルノ映画祭最高賞の『冬休みの情景』(2011、リー・ホンチー/NHKアジア・フィルムフェスティバル上映作品)で助監督を務めたり、『転山』(2011、ドゥ・ジャーイー/東京国際映画祭上映作品)のメイキング・ドキュメンタリー監督や、2023年にはワン・ビン監督『青春(春)YOUTH (SPRING) 』(カンヌ国際映画祭コンペティション部門)の撮影監督を務めている。写真は『青春』スタッフ一同(前田氏は左から2番目)。

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