« previous | メイン | next »

October 25, 2023

『シャティーラのジュネ』リヒャルト・ディンド
鈴木史

[ cinema ]

 「誰も、何も、いかなる物語のテクニックも、フェダイーンがヨルダンのジュラシュとアジュルーン山中で過ごした六ヶ月が、わけても最初の数週間がどのようなものだったかを語ることはないだろう。数々の出来事を報告書にまとめること、そういうことならした人々がある。季節の空気、空の、土の、樹々の色、それも語れぬわけではないだろう。だが、あの軽やかな酩酊、埃の上をゆく足取り、眼の輝き、フェダイーンどうしの間ばかりではなく彼らと上官の間にさえ存在した関係の透明さを、感じさせることなど決してできはしないだろう。」 ※1

 以上は、1982年に西ベイルートの難民キャンプで起こった凄惨なパレスチナ人虐殺をあまりにも美しい筆致でジャン・ジュネがルポした『シャティーラの四時間』の冒頭である。これはある体験、あるいは感情が、テクストという手段をもってしてはすべて表すことなど不可能であるというジュネの絶望の宣言であり、まったく同じことは映画にも言えるだろう。瞬間生じる人間と人間、あるいは人間と事物などの対象とのふれあいのなかに秘められる奇跡について、映画はいつも語りきることができない。「うまく語れた」と思った瞬間、今度は観客と映画の間ですれ違いが生じてゆく。それでもすぐれた映画、取り分け記録映画は、体験や感情にこそ果敢に肉薄しようと、不可能な挑戦を続ける特異な領域である。

 リヒャルト・ディンド『シャティーラのジュネ』(1999)は、本文冒頭で引用した『シャティーラの四時間』(1983)とジュネの遺作『恋する虜』(1986)のテクストを出発点とし、俳優のムニヤ・ラーウィーが、かつて西ベイルートでジュネの出会った人々を探し出そうとし、ジュネの足跡を追うという構成の映画である。ジュネのテクストを読み上げるナレーションはロバート・クレイマーによるものだ。クレイマーのあくまでも低く落ち着いた声で、凄惨な風景、そしてジュネとパレスチナ人たちとの友愛が語られる。ジュネのテクストに、映像が懸命に応えようとする。
 ラーウィーがヨルダン北部の町イルビトを訪れると、虐殺事件当時ジュネが友愛を結んだというハムザというパレスチナ人の青年とその母親はすでに彼らの家にはおらず、そこには親戚だという夫婦が住んでいる。しかし映画は親戚夫婦にハムザとその母を演じさせ、突如ジュネが見たという光景が別の人物によって演じられることとなる。この構造が、4年前に接した虐殺という時間的な距離のある過去を回想し、なんとかその記憶を現在へ繋ぎ止めようとする、『恋する虜』を1986年に書いたときのジュネの手付きと呼応する。

 本作では、『恋する虜』のクライマックスが語られる。ジュネが1986年にイルビトを再訪すると、ハムザの母だけがその家にいる。ジュネは母に「ハムザは?」と問うと、「今はドイツにいる。私も電話番号しか知らない」と言われ、ジュネは公衆電話からハムザに電話をかけることにする。電話口に「ハムザ?」とジュネが言うと、アラビア語で「はい」を意味する、"نعم"(ナーム)というハムザの声が受話器の向こう側からする。ジュネはその一語を聞いただけで、もはや顔すらも定かではなくなった友達ハムザの声が、こんなにも優しかったのかと動転し、同時に彼が絶望しきっていると理解する。一言「はい」と聞いただけで、他者の絶望を理解してしまうというのは、ほとんどテレパシーのようで、感傷的な思い込みに過ぎぬと一蹴することも出来るだろうが、しかしこの章は感動的で、映画が描かなければならないのはこのような瞬間であろうと、クレイマーの落ち着いた声を通して信じたくなる。

 映画の中盤、印象的な横移動がある。荒涼とした岩地を、ラーウィーがジュネのテクストでもっとも好きな部分だと前置きして、開いた本を読みながら歩いてゆく。キャメラは右から左への横移動でひたすらラーウィーを追っていく。彼女はその一句を幾度も呟き続ける。

 「あらゆる事物が、あらゆる事物が見られるために存在しているのだとしたら、私はそれについて何も書くことができない。あらゆる事物が、あらゆる事物が見られるために存在しているのだとしたら、私はそれについて何も書くことができない......」

※1 ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』(鵜飼哲/梅木達郎=訳 インスクリプト刊)