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January 25, 2024

『ある方法で』サラ・ゴメス
新谷和輝

[ cinema ]

撮影中のサラ・ゴメス©︎ICAIC.jpg キューバの映画作家サラ・ゴメスが亡くなって今年で50年が経つ。31歳で夭折した彼女の生涯とそのフィルモグラフィは、キューバ革命がもっとも若く溌剌としていた時期と重なる。激変する社会の中で彼女は革命の陰日向を行き来し、忘却されそうな周縁部に生きる人々とその世界を追い続けた。
 サラ・ゴメスとはどんな人物だったのか。アニエス・ヴァルダの『キューバのみなさん、こんにちは』(1963)を見た人なら、映画の中で満面の笑みを浮かべてチャチャチャを踊る当時20歳くらいの彼女を覚えているかもしれない。その朗らかで快活な人柄は、彼女の映画の音楽の使い方や被写体とのやり取りに表れている。また、彼女は革命を信じ、革命に尽くそうとする闘士であった。ヴァルダがキューバを訪れたのと同じ時期には、年長の映画作家たちとともに、映画がどのように現実を変革できるかについて積極的に発言している。そして、彼女は自身のアフロ系の出自に大きな関心を持ち、フランツ・ファノンやマルコムX、エメ・セゼールを読み込みながら、キューバの黒人文化の複雑な成り立ちについて文化人類学的に学んでいた。
 サラ・ゴメスの唯一の長編映画『ある方法で』には、こうした彼女のすべてが詰まっている。映画の冒頭で私たち観客がいきなり放り込まれるのは、ある労働者が仕事をサボったことの是非をめぐる集会だ。言い訳を述べる当の労働者ウンベルトに、本作の主人公の一人マリオが捲し立てるように批判して会場をあとにするのを臨場感たっぷりに映したあと、映画はドキュメンタリーとフィクションを混ぜこぜにして進んでいく。たとえば、もう一人の主人公で教師のヨランダが素行不良の子どもラサロや彼の母親と対面するシーン。ラサロを演じているのは実際に再教育施設に入っていた少年であり、またその母親も彼の本当の母親が演じている。彼らは監督自身が映画の舞台となるスラム地区で出会った人々だ。見かけ上の本当らしさをこえて、カメラは彼らの現実の名残としての身振りや言葉を捉え、不可視の日常の領域に肉薄する。他にも、アバクアというマリオが属するアフロ系文化について主演二人の声をヴォイス・オーヴァーにして民族誌的に解説する場面、当時のラテンアメリカの戦闘的ドキュメンタリー映画の断片をモンタージュして貧困や低開発を告発するパート、ムーディーな音楽でメロドラマ的な演出をする箇所など、ありとあらゆる手法が動員されて、スラム地区とその住民たちに刻まれた文化や歴史、ドラマが観客に矢継ぎ早に示される。
 作中では進行中の革命の様子が分かりやすく提示されている。この映画のあらゆるところで、克服されるべき旧世界/革命が導く新世界、という二項対立の関係が見られるからだ。恋人と遊ぶために嘘をついて仕事をサボるウンベルト(怠け者)と、それを告発するマリオ(真面目な労働者)。街に残る革命前の建物と、それを破壊する鉄球。女性を裏切り者として扱うアバクアの慣習によって男社会に縛られているマリオと、革命を信奉する自立した女性のヨランダ。キューバに根強く残る旧態的な価値観は打ち棄てられるべきだという空気がある。

ある方法で_001 © ICAIC.jpeg しかし、この映画は革命が望む性急な変化を後押しするよりも、その変化に伴う痛みや迷いのそばで立ち止まる。マリオとヨランダの関係を中心に、作中では人種、階級、ジェンダーが多重に交差し革命のプロセスが輻輳化されていく。中流家庭出身のヨランダは貧しさの只中にいる子どもたちへの接し方が分からない。彼女に同僚の教師がかける「別のやり方(de otra forma)が必要なの」という言葉は、本作のタイトル(De cierta manera)と共鳴して、大きな革命の理念を人々のミクロな関係にいかに反映すればよいのかを問う。革命はその内側にいる者たちに一律的な速度の進歩を求めるが、この映画は個々人の異なるテンポを映して、革命の速度を変調させようとする。スラム出身のマリオが、ヨランダたちと一緒に高級レストランで食事する時のギクシャクした動きや、マリオ&ヨランダのカップルと一緒に酒を飲むカップルのうちの一人ミグダリアが夜の海岸で取り残されていく様子がそうだ。元ボクサーで歌手のギジェルモという人物が、本人役としてマリオとヨランダの仲が決裂する寸前に介入し、映画そのものの流れも断ち切ってしまう展開も含めて、この映画のリズムは遅かったり速かったり急に止まったりと変化に富んでいる。
 この映画の混成的で不純な構造や変則的なリズムは、編集中にこの世を去った監督に代わって映画を完成させたトマス・グティエレス=アレアとフリオ・ガルシア・エスピノーサというキューバ映画の巨星たちの貢献によるものでもあるだろう(グティエレス=アレアの『低開発の記憶』の影響がたしかに認められる)。けれど私は、この映画は何よりもサラ・ゴメスの映画であり、彼女にしか撮れなかったと思う。すべての彼女の作品がそうであるように、この映画は周縁者たちの弱みや苦しみをこれみよがしに対象化せず、できるかぎりの親密さをもってそれらを聴き取り、映し出すことで彼らを主体として肯定するからだ。『ある方法で』でもっとも親密な場面は、マリオが男友達とつるむ時の特徴的な所作をヨランダが面白おかしく真似たあと、二人がベッドで肩を寄せあうシーンだ。ここでマリオは、ヨランダと付き合うことで変わっていく自分のことが「ひどく怖いんだ」と絞りだすように打ち明ける。彼の顔に徐々にクロースアップするカメラは、アイデンティティの変化に思い悩む個人の弱さを正面から受け入れる。
 1967年にキューバを訪れたマルグリット・デュラスとの対話で、キューバ社会の変化について問われたサラ・ゴメスは次のように言っていた。「ここでは個々人の地平では何も起こっていません。しかし、すべてが起こりつつあります。映画の用語で言うならば、長く痛ましい『ディゾルブ』によって物事が起こりつつあるのです」。『ある方法で』が映したかったのは、一体となった個人と社会がディゾルブしていく様子だったのではないだろうか。革命前と革命後、これまでの私とこれからの私。それらの対立項のどちらかではなく、それらが入り混じっていく状態にとどまること。映画の最後に口論しながら二人で新しい住宅街を進んでいくマリオとヨランダの歩みは、そのように人の過去や痛みを伴って継続される不完全な革命を私たちに託す。遠く50年前のキューバからやってきたこの映画は、いつ見ても真面目で可笑しくて切なくて、今この世界に生きて変わりたいと思っている人のためにもまったく古びることがない。

国立映画アーカイブ「蘇ったフィルムたち チネマ・リトロバート映画祭」にて1月27日(土) 16:00、2月2日(金) 15:00に『サンティアゴへ行こう』と併映